夫を自宅で看取り、看護師から僧侶へ 「人間っていつか死ぬんです」と言えるようになった
看護師として働いていたとき夫ががんになり、休職して自宅で看取った玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん。その後、出家して僧侶となり、現在は緩和ケア病棟でスピリチュアルケアを担当しています。ふだんなかなか意識することのない「生老病死」。玉置さんに、「死」との向き合い方について聞きました。(構成/withnews編集部・水野梓) 【画像】「手足がもがれるようなもの」 マンガ「夜廻り猫」が描く家族の死 <SNS医療のカタチTV2024:2024年8月3,4日、有志の医師たちでつくる「SNS医療のカタチ」が配信したオンライン番組。この記事はそのセッションを記事化した1回目です>
人の「生き死に」に近い、僧侶と看護師
作家・浅生鴨さん(MC): 毎年、SNS医療のカタチTVでは、「死」について宗教家のみなさんに話を聞いています。 今回は、看護師で僧侶の玉置妙憂さんにお越しいただきました。玉置さんがなぜ仏門に入られたのか、まず教えてください。 玉置妙憂さん(僧侶・看護師):私が出家して得度したのは15年ぐらい前なんですけれども、きっかけは夫を在宅で看取ったということでした。 <玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さんのプロフィール:看護師・僧侶・スピリチュアルケア師。夫を自宅で看取り、その「自然死」があまりに美しかったことから開眼し出家、高野山真言宗僧侶となる。緩和ケア病棟でスピリチュアルケアにあたりながら、一般社団法人「大慈学苑」代表として活動> 玉置さん:まるで武将の姫のように、殿が亡くなったら髪を下ろして……なんてイメージを持たれるかもしれませんが、そうではなくて(笑)。 葬儀屋さんが呼んだお坊さんがお経をあげたところ、それがちょっと、まあ、ひどくて、親族一同からクレームがきましてね。それなのに、包むものは包まなけりゃいけない、と。 今後、一周忌三回忌と法要は続くわけだから、「そんなんであれば私がやるか」と。「あれよりは上手に読めるんじゃないか」という自負もありました(笑)。 浅生さん:看護師としてもずっと働いてらっしゃるんですよね。看護師と僧侶の立場って、似ているようで違うような、同じものを別の角度から見ているような気がします。 玉置さん:看護歴はそろそろ30年になろうかというところですが、看護師としてはどういうわけか外科系ばっかりに配属されていました。そうなると、亡くなっていく方も担当することがあるんですね。 僧侶と看護師が似ているところというのは、「人の生き死に」と非常に近いところにいることだと思います。 看護師として「もう薬が効かない」「治療法がない」という医療の限界も見るんですよね。でも0.1%でも可能性があると、医療側は「まだやれることがありますよ」などと言ったりするわけなんですよ。 でも別の部分では、「これをやったとしても苦しいだけじゃないかな」「この薬をやって副作用で七転八倒するんだったら、やらないで残りの時間を過ごすっていう手はないのかな」とも思いながら過ごしていたんです。 そして僧侶という立場になって二足のわらじを履いてから変わったところは、「人間っていつか死ぬんですよ」ってことを正面切って言えるようになったということです。 看護師の時に、患者さんの点滴に薬をつなぎながら「人間って…いつか死ぬんですよ…」とは言えないですよね(笑)。問題になっちゃいます。 でも、非常に言いづらいことだけれど、それは本当なんです。この姿を手に入れましたら、「人間っていつか死ぬんですよ」って言ったときに、皆さんが「そうですね」と言って下さるようになりました。だから守備範囲が広がった気がします。 医師・看護師っていうのは、生きている間が守備範囲ですから、「死んだらどうなるんでしょうか」って言われたらざわざわっとするわけですよ。学校で習ってないし。でも、僧侶だと「そうですね…」とお話ができる。そのあたりに違いがあると思います。