【ウインターカップ直前特集】「インターハイで負けたので挑戦者」開志国際高校・富樫英樹コーチは連覇に向けて気負いなし
『何となく』で臨んだインターハイに落とし穴
昨年のウインターカップで初の日本一に立った開志国際。本命と目された夏のインターハイは準決勝で日本航空に76-88で敗れたが、初参戦のU18トップリーグでは下級生を多く起用し、経験を積ませながら勝ち続け、新たなタイトルを手に入れた。連覇を狙う今大会も優勝候補。しかし富樫英樹コーチや選手に気負いはない。怪我人も復帰。ようやく全員がそろった中、頂点を取る準備を着実に進めている。 (文=山根崇 取材・写真=古後登志夫) ーー新チームになった当初、チーム状況はいかがでしたか。 ウインターカップを初優勝した喜びが大きくて、新チームになっても勢いが止むことなく続いていった印象です。インターハイまでの間に行われたカップ戦も無敗だったので、「何となく勝てるのかな」という感じで臨んだのが、落とし穴でした。今振り返ってみると、大きな反省点です。 ーーインターハイで敗れた後、選手たちとはどのように向き合いましたか。 半分以上、私たちスタッフに責任がある。教訓にして最終目標のウインターカップ連覇を目指すぞ、と。子供たちは去年も負けて悔しい思いをした経験があるので、3年生を中心に「勝負は冬」と切り替えていました。 ーー優勝したトップリーグで得たものは。 トップリーグは3カ月におよぶ大会ですが、全員がそろったゲームはゼロなんです。U16アジア選手権や県リーグ、国体にからむような子たちがいれば、怪我人もいました。選手層を厚くしたかったので、下級性を多く試合に出しました。それでも優勝できたのは正直びっくりです。参加できませんでしたが、去年の大会も見ていました。最初から「層を厚くしよう」と生徒に伝えていたので、それを達成できた感はありますね。 ーー各チームから徹底的にスカウティングされていた印象を受けました。 怪我の影響で、インターハイに思い切った布陣を出せませんでした。しょうがなかったのですが5~6人に絞ってしまった。反省を踏まえて、どんどんメンバーを入れ替えたので、相手も「あれ?」と思われたのではないでしょうか。 ーー息子さんの勇樹さんがワールドカップで五輪出場を勝ち取り、日本のバスケットボール人気がさらに向上しました。 正直びっくりです。沖縄の会場にも行きましたし、終わってからも、いろんなメディアの取材を受けました。日本が自力でオリンピック出場権を得るなんて、夢にすら出てこなかった。本当に運があったというか、沖縄開催でなければ取れなかった勝利です。背中を押してくれる力は大きい。それから今までの数カ月間、バスケットが絶えず色々なところで取り上げられるのも、昔のイメージからすればあり得ない。全日本の関係者の皆さんには感謝しています。 ーーチームにも影響や変化はありましたか。 メディア関係の依頼が多くなりました。全日本に加えて、Bリーグもすごく盛り上がっている。それを目指して頑張ろうという子が増えてきた感じが明らかにしますね。 ーー仙台大学附属明成の佐藤久夫コーチが亡くなったことも今年の大きな出来事でした。 びっくりですよね。3月にKAZUカップでお会いしました。「肩が痛いな」と言っていたんですが、そこまで重症とは思わなかった。本当にお世話になったのでショックでした。 正直なところ、私が中学から高校にカテゴリーを変えた理由の一つは、久夫先生と福岡第一の井手口孝先生と肩を並べたかったからです。追い越すところまではいかないにしろ、何とか一緒に戦える土俵に行きたいと思って取り組んできました。その矢先に久夫先生が亡くなった。 井手口と私は同級生なので「一緒に戦っていこう」という感じです。けれど、周りを見ると私と井手口が一番上になってしまった。若い指導者に頑張ってほしいなと。私たちも負けないように、2人で引っ張っていければなという思いでいっぱいです。