アジア国際映画祭チェアマン座談会から見えてきた、次世代の育成に必要な“財源”とアジア映画の現状
審査委員長をトニー・レオンが務めた第37回東京国際映画祭は、日比谷、有楽町、丸の内、銀座地区に開催地を移して4年目。コンペティション部門に110の国と地域から2023本の応募があり、15作品が正式出品された。日本と中国からは3作品ずつが選出され、様々な文化、社会を描いた世界各国の作品が集結し、おおいに賑わった10日間となった。 3人が揃うのは、この座談会が初対面だったそう 本映画祭に訪れた、釜山国際映画祭チェアパーソンのパク・グァンス氏、香港国際映画祭チェアマンのウィルフレッド・ウォン氏、そして東京国際映画祭チェアマンの安藤裕康氏のインタビューが実現。 昨年、MOVIE WALKER PRESSではカンヌ国際映画祭プログラマーのクリスチャン・ジュンヌとニューヨーク国際映画祭プログラマーのデニス・リムによる対談を実施したが、本年度はアジアの国際映画祭に携わる3名ならではの対話となった。なごやかなムードのなか始まった座談会だったが、次第に議論は白熱。映画祭のチェアマンに必要な資質とは?世界の映画界におけるアジア映画の現状、次世代の育成に必要な“財源”とは?など、たっぷり語ってもらった。 ■「映画祭にとって、映画を観ていただくことも重要だけれど、街を楽しみ、いろんなことを東京でやっていただくことは映画祭の大事な役割」(安藤) ――パクさんは、映画祭参加の期間中はどんなふうに過ごされる予定ですか? パク・グァンス(以下、パク)「東京国際映画祭を訪れるのは、これで3、4回目になります。映画祭だけではなく、(コンテンツマーケットの)TIFFCOMにも参加したことがあります。実は、昨日は国立西洋美術館で『モネ 睡蓮のとき』の展示を見てきました。そこには人がたくさん集まるよ、と聞いていたので。本来でしたら映画館に足を運ばなければいけない人たちがみんな行っていると思わされるほど、大変な混雑でした(笑)」 ――映画祭にも来ていただかないといけませんね。ウォンさんはいかがですか? ウィルフレッド・ウォン(以下、ウォン)「私は、香港国際映画祭のチェアマンを20年以上担当しています。ですから東京国際映画祭には何度も来ていて、特に10年前に、AFAA(アジア・フィルム・アワード・アカデミー)が新設されてからは、毎年来ています。東京はお気に入りの街の一つで、来るチャンスは逃したくないので。映画祭では、国際的な映画を時間が許す限り観たいと思っています。ですが、私が一番楽しみにしていたのはコンペ作品に選ばれた唯一の香港映画である『お父さん』です。今年、なぜこの映画が日本の国際映画祭で選ばれたのかを理解したいと思っています。また、滞在中は私の友人や知り合いを訪ね続けるのが楽しみです。彼らは最高のレストランを知っていますからね。安藤チェアマンもその一人です(笑)」 安藤裕康(以下、安藤)「(笑)。まずは、東京国際映画祭のチェアマンとして、お2人をお迎えできて大変光栄に思います。これから語るのは映画のことだと思うんですが…パクさんから美術館に行ったというお話が挙がり、ウォンさんからは友人と美味しい食事に行くのが楽しみだと。これは大変うれしいことです。映画祭にとって、映画を観ていただくことも重要だけれど、街を楽しみ、いろんなことを東京でやっていただくことは映画祭の大事な役割ですから」 ――もちろんお互いの映画祭でもいいのですが、映画祭のチェアマン・チェアパーソン目線で、他国の映画祭に赴いてハッとさせられた点はありますか。ご自身にとって、特に思い出深い映画祭があればお聞かせください。 安藤「特にヨーロッパの映画祭は、非常に歴史が長いですよね。最も歴史あるのは(1932年に初回開催された)ヴェネチア国際映画祭です。それから1946年にカンヌが、次いで1951年にベルリンが出来た。なにより世界中の映画人が集まってくるし、本当にベテランの運営をしておられる。やっぱり訪れるたび、学ぶところは多いですね。一方、東京国際映画祭は、1985年にできた若い映画祭です。釜山も香港も、新しい映画祭と言える。でも、アジアはこれから成長していく新しい地域です。中国はものすごく人口が増えるだろうし、韓国は既に文化産業が映画も含めてすごく盛んになっている。未熟な点はたくさんあるけれども、大きな将来性を秘めていると思っていて、アジアの映画祭が協力し合って、ヨーロッパの映画祭に負けないような形にしていきたいというふうに思ってます」 ウォン「安藤さんが、この座談会の目的をすべて話してくれましたね(笑)」 安藤「少し結論を急いでしまいました(笑)」 パク「では、次は私が個人的なエピソードを(笑)。まさに1985年だったと思いますが、私が学生としてパリに住んでいた時に、カンヌ国際映画祭に取材に行ったんです。学生アルバイトとして、映画祭を取材して記事や写真を雑誌社に送る仕事をしていました。今年から東京国際映画祭が始まるという時期だったので、黒澤明監督が映っている告知物やポスターが貼られていて、カンヌの地で『東京で国際映画祭が始まるんだって』という話を耳にしたので、思い出に残っています」 ――映画祭の取材とは、まさに私たちのような仕事ですね。ウォンさんはいかがですか? ウォン「世界中の国際映画祭を訪れることは、私達の想像力をものすごく豊かにします。また、映画業界の流行やトレンドが理解できるので、私にとっては次の映画祭準備の手助けになると思っています。香港は、国際映画祭としては若いですが、アジアのなかではかなり早く始まったものです。中国映画がまだ世界に紹介されていない、そういう時期を香港は経験しているんですね。なので、長い間、香港国際映画祭は中国映画と、才能を持った映画人にフォーカスを当ててきたわけです。チャン・イーモウやジャ・ジャンクーといった方々は、香港国際映画祭で一番最初にピックアップされた方々です」 ■「チェアマンの仕事には3つあると思っています。運営すること。財源の確保。自分の国の映画の大使として動くことです」(ウォン) ――“映画祭の運営”というのは、映画業界の仕事のなかでも特殊なポジションの仕事だと感じますが、おもしろさを感じている点を教えてください。 安藤「映画祭のチェアマンあるいはチェアパーソンは、必ずしも映画の専門家である必要はないと思うんですね。実際、映画業界から出てきたわけではない略歴の方も多い。私も映画は大好きでしたけれども、もともとは外交官をちょうど40年間やらせていただきました。映画祭は、”映画業界”とは基本的に違うものだと思います。したがって、映画祭でその作品を選ぶことが持つ社会的な、あるいは商業的な観点からの助言はしますけれども、作品選定そのものは、基本的にプログラミングディレクターの市山(尚三)に任せています。どういう優れた作品を観せるかが映画祭の一番の目的だと思いますけれども、特に国際映画祭の役割は、世界中の映画人が来て、作品についての意見を述べ合って、映画業界の将来の発展に寄与していく。そうして″集う”ことが目的だと思うんです」 ――ウォンさんは、いまのお話を聞いていかがですか? ウォン「私は、香港国際映画祭のチェアマンを20年以上担当しています。皆さん、自身の国や街を愛していたら、それを世界に見せたいと思うはずです。世界中のフィルムメーカーたちをお招きして、自国の文化を理解してもらい、いまなにが起こってるのかを見ていただく。と同時に、自国の才能あるクリエイターを世界に知らしめることが、やはり映画祭の目的だと思っています。また、商業的な配給会社に任せていたのでは世に出なかったであろう、”映画祭でなければ観られない映画”を紹介できることにも価値を感じています。 チェアマンの仕事というものには、3つあると思っています。1つは、運営すること。様々なチームを管理して、映画祭の方向性を示すこと。2つ目は、財源の確保。特に政府から財源を確保するのは非常に難しい仕事になります。財源が十分ではない場合はスポンサーを探します。3つ目は、自分の国の映画の大使として動くことです。なので、私は自分のことを芸術の文化担当者というふうに考えています。映画に特に強い情熱を持っていますが、必ずしも自分自身がアーティストであるわけではないという考えです」 安藤「私はまだチェアマン5年目の若輩者ですが、非常に共感しますね。マックス・ウェーバーという大変有名な政治学者がいますが、彼が政治家にとって必要な資質は情熱、責任感、判断力の3つだと言っていて。私はどんな職業であっても、責任あるポジションに就いている人にとって大事な点だと思っています」 ■「監督が映画祭に参加して、出資の機会に恵まれたりする。長い目、広い目で見ると、映画祭の出会いが制作そのものにつながっていく」(パク) ――パクさんは、“映画祭”というものの役割をどうお考えですか。 パク「映画監督としてのデビュー作『チルスとマンス』がベルリン国際映画祭のヤング・フォーラム部門に出品されて、初めて映画祭に参加しました。その時に現地でお会いした日本の配給会社の方が、『チルスとマンス』を日本で公開すると言ってくださったんですね。これは一つの例ですが、映画祭という場では、監督がそれ以外の国の方たちと会える、そういう良い点がありますよね。それから3本の映画を撮ったんですが、残念ながら興行的に当たらず、出資を募るのが難しくなって、制作費の確保がなかなかできなかったんです。なので、海外に頼ろうという考えもあり、ロッテルダム国際映画祭に『CineMart』というマーケットがあって、4本目の作品を撮りたいという相談をしました。そこではあまり高い評価を得られなかったんですが、今度はイギリスの『チャンネル4』が、制作費全体の15%を出資しましょうと言ってくれたんですよ。その後に、今度は韓国のサムスン電子から他の制作費も出してくれると。そんなふうに話がつながっていきました」 ――なるほど。監督として映画祭に参加するなかで、様々な国のマーケットに携わることになったんですね。(『ぼくのお日さま』の)奥山大史監督が、初めて映画祭に招待された時に、映画祭というのは選出され、上映されるまでがすべてだと思っていたけれど、実際に参加して、各国の配給会社に声をかけられるといった、マーケットとしての映画祭の役割を実感したとおっしゃっていたのを思い出しました。 パク「なので、監督が映画祭に参加して、様々な出会いのなかで制作費を出資してもらえる機会に恵まれたりするんですね。長い目、広い目で見ると、映画祭の出会いが制作そのものにつながっていく。釜山国際映画祭も、そういった場になりうること、それは非常に大切なことだという認識のもとで運営をしています。また、私は釜山国際映画祭の立ち上げ時にも参加していて、そのころからPPP(Pusan Promotion Plan)というプレ・マーケットのプロジェクトを進めてきました。PPPを通して、アジア映画の中で才能のある監督やプロデューサーと、出資してくださる方を引き合わせるような、そんな場を作ることにしました。その中で生まれたのが、ジャ・ジャンクー監督と他の方たちとの出会いであったり、日本でもアートディレクターに就かれている方でその当時から参加してくださった方もいます」 ――安藤さんは、「Variety」のインタビューで「映画祭が映画制作現場の環境改善や女性のエンパワーメントなどの向上に寄与したい」とおっしゃっていました。映画祭は、社会問題にどう向き合うべきでしょう? パク「映画祭というのは新しい世界観を提示してくれる場所でもあると思います。新しい作品は、主に若い人たちが作っているので、上の世代がタブー視してきたようなことも映画の中に描かれている。そこには、新しい視点から見た意見も反映されているんですね。なので、映画祭では絶対に”検閲”があってはいけない。マイナーな題材、少数派の意見を取り上げた作品であっても、作品そのものが尊重されるべきだと思うんです。なので、釜山国際映画祭では、特別なセクションを設けるのではなく、映画祭全体として社会問題に目を向けて行くべきだと思います」 ウォン「映画祭に訪れる観客の年代は、様々ですよね。経験上、ある程度上の世代のほうが、映画館に来ていると感じます。なので、そうした“cinemagoers(映画館に足を運ぶ観客)”に向けた作品選定をする一方で、若い映画監督の作品を選ぶことで、次の世代が映画館に足を向くような、若い観客を引きつけるような作品を選んでいます。こうしたインクルーシブネス(包括性)が、私たちを政治に向かうことを防いでくれる。私達は政治を避けてはいないけれど、標榜することはないんです。というのも、パクさんがおっしゃるように、映画そのものに、社会問題に触れているものがたくさんあるからです。また、香港国際映画祭では、人間的な価値を高めていく映画を表彰するような、”Humanitarian Awards”という映画賞も設けています」 安藤「私は、まずは作品を通じて観客の皆様がいろんな社会問題について考えるきっかけを与えるということ。あとは、東京国際映画祭では″映画人材の育成”と”女性の活躍”に焦点を当てていて、今年は『ウィメンズ・エンパワーメント部門』も新設しました。女性監督の作品をできるだけ多く見せる機会を作る。あるいはマスタークラスやシンポジウムを通じて、若者を育成していく。そういう直接的な方法もとっています」 ■「映画祭に対する意識の度合いの高さというものが、その映画祭が成功してるかどうかを決める要因になると思います」(ウォン) ――映画祭において、やはり”集客”も重要項目ですよね。先日の釜山国際映画祭に訪れた際、どんなプログラムもソールドアウトしていて驚きました。集客のために、注力している施策はありますか? パク「釜山国際映画祭では、ラインナップ発表と共に、10日間ぐらいの開催期間のうち6日目ぐらいまではほぼ100%ソールドアウトになる。韓国には、韓国国立映画アカデミー(KAFA)があり、志願者の倍率が40倍ほど。そこに落ちた人たちも、映画が好きで映画を観たいと思っている人たち、または映画を作りたいと思っている人たちですよね。そういう背景があり、早く映画祭を観に行きたいと待っていてくれる若い観客がたくさんいるんです。そうした観客たちは、非常に難しい作品も前向きに観てくれて、監督とも十分な討論をするんですね。彼らの姿に、感動している作り手がたくさんいます。ですので、映画祭を始める前に、映画に対する関心を高めておくことも大切だと思うんです」 ウォン「映画祭に対する意識の度合いの高さというものが、その映画祭が成功してるかどうかを決める要因になると思います」 ――それは運営側の意識ですか、観客ですか? ウォン「観客たちの間で映画祭に対する意識が高まれば、自分たちの映画祭としてターゲットにしている観客の方々も惹きつけることができると思います。実は、香港国際映画祭は二部構成で、3月に開催しているのがメインの映画祭、夏に小規模かつ若者向けの映画祭を行っています。政府が映画の育成費を使って、学生が映画を見るのを補助しているんですね。なので、通常価格の40%で映画祭のチケットを購入できる。この”意識を高める”ということをサポートするために、映画祭は映画を祝福する場だと捉え、セレブリティやスターをお招きする。映画というものは夢を作るものなので、スターパワーは大事になってきます。でも、それより重要だと考えているのは、観客の方々に映画を学ぶ機会を作ること。監督など、プロフェッショナルの方の話を通して、願わくば次世代における映画文化が育成されると考えています」 安藤「そうですね…私はある意味で一種の悩みを抱えているんですが、先ほどウォンさんがおっしゃった映画祭の運営に必要な3つのことのうち、2つ目の”財源の確保”。それはそれで非常に重要なことだと思っています。そのためには、チケットの売上を増やしたり、レッドカーペットを観に来るお客さんを増やしたりする必要がある。実際、今年の東京国際映画祭のチケット売上は、昨年より150%ほど増えました。レッドカーペットの歩行者も約1割増え、カーペットの観客や上映とイベントを合わせた観客動員数も、昨年を上回りました(※編集部注:第37回は143,498人、第38回は181,020人)。 なので、映画祭に対する意識を高めることは少しずつできているのかなと思っています。でも、商業的な側面ではなく、映画祭の持つ使命というものがあるわけで。映画は社会の窓という言葉がありますけれども、映画祭で作品を見ることによって人生や社会について考える。そうした熱量を高めていくミッションと、商業的な側面はある意味で矛盾するものですが、しっかりバランスを考えていかねばと思っています」 パク「話題を変えてしまうのと、半分冗談だと思って聞いていただきたいのですが、私が監督デビューした1988年に、日本の映画監督がデビューする時にもらえる監督料は100万円程度でした。当時は、韓国の監督がもらう金額に対して3倍ぐらいだったんですよ。ところが約40年近く過ぎたいま、日本の新人監督の報酬は当時とほとんど変わっていない金額だと聞いています。ところが韓国では、新人の監督がもらう金額は10倍になっているんですね。それを考えると、作り手側が”映像を撮りたい”というモチベーションが下がってしまうのかなと思いました」 安藤「いやいや、いまおっしゃったこと非常に重要な点です。日本は作り手たちの報酬も含めた、あるいは制作現場の労働環境、そういうものが見直されるべき時期に来ている。給与だけではなくて、制作環境も韓国のほうが良くなっているという声もあります。是枝(裕和)監督が韓国で映画を作られた際に、土日や休日にはしっかり休むとか、優遇された韓国の制作環境について私見を述べられていました。日本の制作環境の見直しのために、我々映画祭も役に立つことがあれば、協力をしたいというふうに思っています。そういったシンポジウムを今年も行います」 ――観客を育てるには、映画に携わりたいと思う人口を増やすことが必要ですから、おっしゃるように監督料をあげるとか、映画にかかわることで持てる”夢”を強くする必要がありますよね。 ウォン「香港の若い監督は、一番ラッキーだと思いますよ!(笑)なぜかというと、まだ1本も長編映画を撮っていない監督が、100万ドルを受け取ることができるんです」 パク「100万ドルは開発費ですか、製作費ですか?」 ウォン「製作費として、政府から支払っています。その結果、過去7、8年間で40人もの若い監督が映画を作るにいたり、その作品はそれぞれ各国の映画祭で賞をいただいています。このことは、政府が映画を産業として見ていることの表れだと思います。それが、映画祭についての重要な質問につながっていくと思います。先ほど安藤さんもおっしゃった、商業性と芸術性のバランス。両者のバランスをとるということが、映画祭の非常に重要な役割であり、映画を産業として育てていくうえでも、大事な役目を持っていると思います」 ーーさらに深堀りしてうかがっていきたいところですが、残念ながらお時間が来てしまいました。またぜひ来年も東京国際映画祭の場で、有意義なディスカッションの取材を行わせてください! 取材・文/編集部