『北の国から』中嶋朋子が小学生で知った「大人もケンカしたり、滑り台を楽しんだりするんだ」北海道ロケの記憶
でも、まだ放映されていないので、みんな私が何をしているか知りませんでした。ちょっとお休みして、戻ってきたら北海道土産の「白い恋人」を配る子でした(笑)。
■田中邦衛さんもスタッフも「子ども扱い」しなかった ── 北海道での冬、撮影は大変だったでしょうね。 中嶋さん:撮影は本当に過酷でした。大自然の中、とくに寒さが。いまみたいにいい防寒具もないし、使い捨てカイロがようやく出はじめたころでした。 当時は、ベンジンを注油する金属製のカイロを使っていました。撮影スタッフは南極観測隊みたいな、身動きのとれない格好をしていました。
私の役柄は少し貧しい家庭の設定だったので、薄着でないといけない。子どもなので元気だからいいんですけど、手足が冷えるのはどうにも…。常識が通じない寒さでした。 ちょっと汗かいたら凍っちゃうし、寒さは本当にどうにもならないです。原野や林の中に入る場面もあり、身体的にも大変でしたね。 ── 苦労して撮影されたと思いますが、雪の中にとびこんだり、原野を走ったりというシーンは本当に美しく、印象に残っています。
中嶋さん:私たち子どもは「風景」としてとらえられていたので、晴れたときやキレイな雲が現れると、とりあえず走るシーンとして撮ってみて、後でどこかで使おうかな、という感じでした。 カメラが見えないくらい遠い離れた丘の上で待機して、横でスタッフさんがインカムで指示を受け、走り出すこともありました。 ── お父さん役の故・田中邦衛さんとは、現場でも家族のような感じだったのですか? 中嶋さん:不思議ですが、"仕事仲間"という感じだったんです。本当に過酷な環境での撮影なので、大人もいっぱいいっぱいで、自分の許容範囲をこえた努力せざるを得ない状況でした。
大人ですら自分の知らないような驚きにあふれていて、子どもと同じ状況だったんじゃないかな。そんな環境で、小学生でも一緒に頑張っている仲間として扱ってくれたのがよかったです。 「子どもだから」とおだてられると違う感じになっていただろうし…もちろん、そういう場面もあったとは思いますが、そればかりでなかったので、自分も頑張ってると感じられて、とてもうれしかったです。 ── 小学生でも、ひとりの人間として尊重してもらえたと。