リンカーン暗殺に居合わせた夫婦の「地獄」、1865年4月14日、運命の夜の18年後に夫が妻を…
最後の殺人
1883年12月23日、一家がドイツに滞在していたとき、ラスボーンの精神は最悪の状態に陥っていた。ニューヨーク州の新聞バッファロー・イブニング・ニュースによると、ラスボーンは子どもたちが誘拐されるのではと思い込み、銃弾を詰めた銃を持って子どもたちの部屋に入ろうとした。 危険を察知したハリスは子ども部屋に鍵をかけ、夫と一緒に自分たちの寝室に入った。そこでラスボーンは妻を銃で撃ち、さらにナイフで刺した。そして、自分自身にも刃を向けた。妻はベッドで息を引き取った。 ラスボーンは命を取り留めたが、錯乱状態にあった。ニューヨーク州エルマイラの新聞サンデー・モーニング・タイディングスは、事件の数日後に次のように報じている。「(ラスボーンは)子どもたちが誘拐され、自分はその誘拐犯と対峙して負傷したと思い込んでいる」。自分が妻を殺害したという記憶はなかった。 ラスボーンは、ドイツで裁判にかけられ有罪となり、ハノーファーのヒルデスハイム精神病院に収容された。1911年8月14日、ヘンリー・ラスボーンはこの施設でその生涯を閉じた。フォード劇場での悲劇の夜から46年後のことだった。
文=Parissa DJangi/訳=荒井ハンナ