リンカーン暗殺に居合わせた夫婦の「地獄」、1865年4月14日、運命の夜の18年後に夫が妻を…
運命の夜
大統領専用ボックス席に座ったメアリー・トッド・リンカーンは、すぐ横に招待客がいるにもかかわらず、夫にもたれかかり、自分の手を握った夫に「ミス・ハリスは何と思うかしら」と尋ねた。これに対してリンカーンは「何とも思わないさ」と返事をしたという。 これが、エイブラハム・リンカーンの最後の言葉だったと言われている。 午後10時30分ごろ、ジョン・ウィルクス・ブースがボックス席に忍び込み、リンカーンの頭部を銃で撃った。 ラスボーンはすぐに立ち上がり、ブースを取り押さえようとしたが、ブースはナイフを取り出してラスボーンの腕を切りつけた。ナイフがラスボーンの動脈を切断し、その血が婚約者に飛び散った。そのすきにブースは逃げ去った。 ラスボーンとハリスはリンカーンの方を振り向き、大統領が撃たれたと叫んだ。劇場は大混乱に陥り、リンカーンは医師らによって道路の反対側にある下宿屋に運び込まれた。 ハリスはメアリーを落ち着かせようとしたが、ラスボーンの血を浴びたハリスが近づこうとすると、メアリーは「ああ、私の夫の血! 私の愛する夫の血!」と叫んだという。 ハリスはまた、ラスボーンの出血を止めようと腕を縛ったが、大量に失血したラスボーンは意識を失い、ハリスの家に搬送された。しかし、ハリスの助けを得て医師が処置を施したため、一命を取り留めた。 それから約2週間後、ハリスは友人にあてて手紙を書き、事件の生々しい体験を語った。そこには、いまだに恐ろしい記憶に苛まれ、「ほかのことに全く気持ちを向けることができずにいます」と綴られていた。
癒えない心の傷
事件の後、ラスボーンとハリスは人生を立て直そうと努め、1867年7月11日に結婚した。 しかし、事件の衝撃はいつまでもラスボーンに付きまとっていた。リンカーンの命を救えなかったことが心に重くのしかかり、体には何の異常も認められなかったものの、呼吸の問題や動悸に悩まされた。 夫妻の間には3人の子どもが生まれたが、ラスボーンの苦悩はますます表面化し、妻と子どもたちに危険が迫っているという強迫観念に取り付かれた。 1883年には、「不機嫌になったり、ふさぎ込んだりしたかと思えば腹を立て、妻に激しく嫉妬し」、もうすぐ妻に捨てられると信じ込んでいたと、ニューヨーク州の新聞エルマイラ・デイリー・アドバタイザーは後に報じている。 この年の末、夫婦は悲しい結末を迎える。