一条天皇の辞世の歌「君」は誰のこと? 彰子さまか、定子さまか…藤原道長と行成で違った解釈
「枕草子」が守った定子さまのイメージ
水野:しかし、立て続けに重要人物が亡くなりますね…。 たらればさん:定子さまの兄、伊周も第39回「とだえぬ絆」のなかで、数え37歳で亡くなってしまいました。 水野:伊周を演じた三浦翔平さんの演技がすごかったですね。とにかく最後まで道長たちを呪いまくったキャラクターでした。 たらればさん:「光る君へ」で伊周をここまで敵役、やられ役に描くとは思っていなかったので、なんというか……かなり……複雑な気分です。史実ではこんなにのべつまくなしに道長たちを呪っていたわけがありませんし……。 水野:たとえば実資の書いた『小右記』には、道長の御嶽詣の際に、「伊周たちが呪っているというウワサが立っている」と書かれていたそうですね。やっぱり権力のない側は、身の潔白を証明するとかは難しいんでしょうか。 たらればさん:現代のわたくしたちには想像しづらいことですが、1000年前の平安時代では、いまよりもずっと「因果応報」という発想が自然に根強く信じられていました。 つまり政治的に勝つ側は正しさや美しさや善性を備えていて、負けた側は正しさや美しさや善性が足りなかった、何か負けるなりの原因があったと考えられてしまう。 「愚かだった」だとか「悪だくみをしていた」だとか、「功徳を積めてなかった」だとか「病弱だった」とか、もっというと「精神的におかしかった」とか、そういう「要因」が後付けされてしまいがちです。 水野:そうか~。結果から、性格や能力まで評価されてしまうんですね。 たらればさん:だからこそ、清少納言の『枕草子』はすばらしいんです。 中関白家は政治的に負けたけれども、愚かだったわけではなかった、定子さまは賢く美しく、あそこにはたしかに「文明」があった、と綴って残したわけです。それがすばらしい作品として1000年残り続けることで、面目が保たれるんです。 水野:後の世で、定子さまが悪いイメージになってしまった可能性もあるわけですもんね。 たらればさん:そうなんです。偉大で強大な道長の邪魔をした愚かで弱くて悪いやつら、という描かれ方をされる可能性は常にあるわけで。それを阻み続けていることが、枕草子のすばらしさ、真価のひとつなんですよね。道隆や伊周のことまで守ってあげられたらよかったんですけども……。 水野:う~ん、残念…。伊周の弟の隆家は、道長たちともうまくコミュニケーションして、うまくやるんですもんねぇ…。 たらればさん:清少納言ファンであるわたくしの、伊周への思いって複雑なんですよね……。 「きみがもう少ししっかりしていれば…定子さまはあんなことには……」と思ってしまうけれど、ドラマや小説であまりに悪く描かれると「それはないんじゃないの?」という…。「伊周兄さんに文句を言っていいのはおれたちだけなんだよ!」という大変めんどうくさい気持ちがあります(苦笑)。 水野:(笑)。 わたしはドラマの中で、隆家の送った「あの世で栄華を極めなされませ」という弔いの言葉がすごく響きました。「呪い」にとらわれたお兄ちゃんのことも受け止めた上でのメッセージだなぁ、と。 たらればさん:そうですねぇ……。とはいえ、最後まであんなに救いのないまま敵役に描かなくても……。伊周があれだけ呪いをやっていたとしたら、きっと道長もがんがんやっていたはずだろ、ということだけは言いたいです(笑)。 ◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。次回のたらればさんとのスペースは、11月17日21時~に開催します。