けが続きの2年耐え…間に合った花園 高鍋FB・隈江隆希選手
27日に開幕する第104回全国高校ラグビー大会で初日に登場する、高鍋(宮崎)のFB隈江隆希(りゅうき)選手(3年)は、将来を嘱望されながら高校に入って2度のけがに苦しみ、3年生で花園のグラウンドに初めて立つ。高校生活のうち入院やリハビリに費やした計18カ月間を支えたのは、復帰を信じてくれた仲間の存在だった。 ラグビーが盛んで、高校の所在地でもある宮崎県高鍋町に生まれ育った。部OBの祖父の影響で小学1年から競技を始め、中学3年の時、県選抜チームで出場した全国大会で優秀選手30人に選ばれた。50メートルを6秒台で走る俊足と「流れを変えるプレー」=高鍋・檜室(ひむろ)秀幸監督=が評価され、日本ラグビー協会の強化合宿にも呼ばれるように。高鍋の入学式では県選抜で一緒だったメンバーと再会。「僕たちの代で花園ベスト8」が同期部員みんなの夢になった。 ◇復帰2カ月後にまた… ところが、1年生の2022年秋に出場した高校ラグビー県予選準決勝でアクシデントに見舞われた。試合前半にボールを持ち、ステップで相手をかわそうとした時、「ブチッ」と音が聞こえ、その場に倒れ込んだ。右膝の前十字靱帯(じんたい)断裂、半月板損傷の大けが。すぐに手術を受け、花園へ進んだ高鍋の試合は、入院先の病院のベッドの上で見守った。 練習に復帰したのは8カ月後の2年生の夏だった。だが、2カ月後の遠征試合後に右膝が腫れ始め、病院で「再断裂」と伝えられた。「頭が真っ白になった」 医師からは手術しない治療の選択肢も示された。戸惑う中で、同期たちはあの夢を忘れず、「大丈夫」「ゆっくり治してこい」「来年の花園に一緒に出よう」と背中を押してくれた。再手術に決心がついた。 小学1年から同じラグビースクールで一緒だったCTB河野剛大主将(3年)は、隈江選手が手術後に明るく振る舞い、トレーニング室に向かう姿を見て「きつい部分があるんじゃないか」と思いをはせ、寄り添った。もう一人の主将で、1、2年時のクラスメート、LO田村武士主将(同)も「前を向こう」と明るく声をかけ続けた。練習や試合の後に「隆希がいればなあ」と話題にしてくれる同期の心遣いを、隈江選手は「まだ期待されているんだ」と喜び、エネルギーに変えた。 3年生の7月、10カ月ぶりにグラウンドに復帰してからは、これまでと違うポジションも経験してプレーの幅や視野を広げた。迎えた11月の県予選決勝。後半の終盤、仲間にもらったボールを脇に抱えると、鮮やかに独走トライを決め、復活を印象づけた。試合後は、けがで予選に出られなかった選手のもとに駆け寄り、出場決定の喜びをかみしめた。 同期で描く夢の「ベスト8」に向け、初戦は札幌山の手(南北海道)とぶつかる。「支えてくれた仲間にプレーで恩返ししたい」。悔しさもうれしさも味わった3年分、花園のグラウンドを駆け巡るつもりだ。【塩月由香】