「核密約」は今も生きているのか…硫黄島の土を掘った希有な研究者の「ひとつの答え」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
硫黄島の土を掘った希有な研究者
小笠原核密約の研究者は少ない。その一人である名古屋外国語大学の真崎翔氏は、別の面でも希有な研究者だった。最初のインタビューは2022年11月。コロナ禍のためリモートで行い、その後も電話やリモートで応じてもらった。 著書のプロフィール欄を読み、僕より10歳若い「1986年生まれ」とは知っていた。が、自身が「戦没者4世」であるということは、インタビューの中で初めて知ることになった。 真崎氏によると、曽祖父の戦没地は当初「南方」とだけ伝えられていたという。日米関係史の研究を進める中で「もしかすると、戦死したのは硫黄島かもしれない」という思いもあったという。後に墓石の刻字を読んで、戦没地はフィリピンのルソン島クラークと知った。硫黄島戦と同時期に繰り広げられた激戦地だ。クラークは戦後、空軍基地が整備された。その下には多数の遺骨が残っているとされる。 「だから(同じく航空基地化されて)遺骨収集が極めて困難になっている硫黄島の戦没者遺族には、個人的にはすごいシンパシーを感じてきました。人ごとではない思いを抱いています」 終始、落ち着いた口調ながら、真崎氏は、戦没者遺族に寄り添う熱い心を持った人だと、僕は思った。インタビューに快く応じてくれた理由が、対話しているうちに分かった気がした。 真崎氏が希有な研究者であると僕が思ったのは、政府派遣の硫黄島遺骨収集団にボランティアとして参加した経験があるからだ。 真崎氏が遺骨収集団に参加したのは2014年。印象深かったのは、収集団員が宿泊した自衛隊滑走路近くの宿舎だったという。部屋は「H」型をしていた。「H」のうち縦線はベッドなどの生活用具が置かれた個人用空間で、横線はトイレとシャワーの共用空間。つまり二つの個人用空間に宿泊する団員が、その間にあるトイレとシャワーを共用して使うという構造だった。 それは、真崎氏が米国留学時代に過ごした寮と同じだった。「日本で見たことのない形で(宿舎内の)緊急避難経路は英語表記だった。米国から泊まりに来る人を念頭に置いた造りであり、ある程度、僕の持論が確信できた」という。持論とはつまり、硫黄島が今なお“米国ファースト”になっている実情を指したのだろう、と僕は受け止めた。