直撃取材に「オイ、コラッ!」と激高も…故・山根明さん「本誌記者と週4交流」亡くなる直前の衝撃言動
「『フライデー』? ついに来よったか!」 男性が凄まじい剣幕で怒鳴る。反社会勢力との交際が理由で日本ボクシング連盟会長を辞任した山根明さんが、バッシングを受けていた’18年末。疑惑を先駆けて報じた本誌の記者が自宅前で山根さんを直撃すると、積年の恨みを発散するように怒りをあらわにしたのだ。取材した大阪在住の加藤慶氏が振り返る。 「オイ、コラッ!」と本誌記者に激高…!男・山根「美女たちとド派手撮影」衝撃写真 「『オイ、コラッ!』と叫ぶ鬼の形相に、同行したもう一人の記者は固まっていました。でも私は直感的に『悪い人ではないな』と思ったんです。感情が素直に出て怒りの沸点が低い。なぜか『かわいい』と感じました。山根さんに捲し立てられながら押し問答。しばらくすると気持ちが落ち着いたのか、山根さんは『コーヒー行くか?』と私を喫茶店に誘ってくれたんです。それからですね。山根さんとの交流が始まったのは」 ◆「カトちゃん、今日何してるの?」 1月31日、山根さんが大阪市内の病院で亡くなった。享年84。昨年末から肺がんによる闘病生活を続けていたという。名刺に「無冠の帝王」と記した「男・山根」の豪快かつ繊細な生き様を、前出の記者・加藤氏が振り返る。 「直撃取材をして以降、なぜか山根さんには気に入られ『自分とは昔から知り合いのような気持ちになる』と言われました。毎日のようにLINEが来て、返信がないと待ちきれなくなるのでしょう。『カトちゃん、今日何してるの?』と電話がかかってくる。多い時には週4日で食事に行った後、山根さんの奥様が経営するラウンジや自宅に招かれていました」 山根さんは食事をしても、決して相手に代金を払わせなかったという。山根さんなりの流儀だったのだろう。 「初めてお酒を飲んだ時、タクシーで帰る私に『足代』まで出そうとしたんです。食事代を出してもらい『申し訳ない』と思っていた私は、『それは絶対に受け取れません』と拒否。タクシーの車内にポチ袋を投げてきたので、車を降りて返しました。 後日、山根さんは嬉しそうに話していましたね。『マスコミで足代を受け取らなかったのカトちゃんだけやで』と。人の所作や発言を事細かに見ていて、問題を抱えた人がいると察知する。だから嘘をつく人間を非常に嫌っていました」 話し始めるとスグに熱くなるという山根さん。「日本に帰化した時に大声で宣誓した。日本国のために命を捧げますと」「俺は幸せもんや。人を騙したりせんと真っ直ぐに生きてきたから騒動後もホンマに良くしてもらえる」などと、身振り手振りを交え大きな声で語っていたという。 「意外とお酒は強くなかったです。飲んでもビールと焼酎の水割りを、それぞれ1、2杯ぐらい。山根さんのファンがラウンジを訪れシャンパンをあけると、3、4杯飲んで裏では眠そうにしていました。服装には常に気を遣っていましたね。大事な用事があれば必ずスーツ、サングラスでビシッとキメていました。帽子も高級品ばかりで、何十万円もしたと思います」 家族ぐるみの交際で、子どもが生まれた時にはお祝いまでもらったという加藤氏。昨年末に体調を崩した山根さんをお見舞いすると、衝撃の言動に接する。 「痩せて見るからにツラそうでした。それでも弱音は一切吐かない。私が病室に入ると、いつものサービス精神で歓待しようとしたのでしょう。ムリに立ち上がろうとするんです。私が『寝ていてください』と言うと、こう語って自分を鼓舞していました。『病気に打ち勝つには気力や!』と。 亡くなる2日前にも奥様から『会長がしゃべりたいと言っています』と電話をもらい、病院に急行しました。でも私は混乱して、山根さんが何を話したかあまり覚えていません……。回復したら一緒に台湾へ行きましょうと伝えました。私にとっては父親のような偉大な存在でした。あれほど繊細でありながら豪快。そんな人物は、もう二度と現れないでしょう。心からご冥福をお祈りします」 強烈なキャラクターで昭和から令和の時代を駆け抜けた「男・山根」。自身の生き様を貫いたアッパレな人生だった。
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