悲願のJ2昇格!FC今治”お別れ”『独占インタビュー』服部元監督「とにかく前へ」
12月は別れの季節.....。サッカー界では。 今季22勝7分9敗、J3リーグ2位という成績でクラブ初のJ2昇格を決めたFC今治も例外ではない。しかし、まさかのこの人と”お別れ”となるとは思わなかった。しかもわずか1年で。 服部年宏(51)、静岡県出身。サッカー日本代表選手としてワールドカップに2回出場、2014年から指導者に転身し、今シーズンからFC今治の監督に就任した。悲願のJ2昇格の立役者であり、今治市にとっての恩人ともいえる服部元監督にじっくり聞いた。 今シーズンをどう戦ったのか、そしてこれまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。そして今治でのプライベートは? (11/28収録 聞き手:南海放送アナウンサー 江刺伯洋) <いきなりですけども、趣味は?> 趣味は一応、公には犬との散歩と(プロフィールには)書いてあって、静岡に家があって、そっちで飼ってるんですけど(名前は)平次です。もう1個趣味というか、こちら(今治)に来て気づいたのが、大きい船見るの好きだということ。タンカーとかそういうコンテナ船みたいなとか大きいのが泊まってるじゃないですか。ああいうのを見るのも結構、好きだということに気づいて.....。調べると、造船所の辺りとか、結構泊まってるところがあったんで、そういうの見に行ったりとか、海見に行ったりとかしてのはありますね。
<サッカーを始めたきっかけは?> 静岡県の静岡市清水区出身なんですけど、昔からサッカーが盛んなところで、小学一年生の時にはもう周りがみんなやってて、自然と始めてたみたいな感じです。 <ジュビロ時代で思い出すことは?> 強かったことですかね。やっぱ強かったことと、楽しかったことですかね。本当、いろんなタイトルも獲ったし、獲れない苦しい時期もあったんですけど。とはいえ、一緒に時間を過ごした人たちとの楽しい思い出が一番っていうのはありますね。 <日本代表時代で思い出すのは?> デビュー戦ですかね。ワールドカップとかもちろんあるんですけど、初めて先発で出た試合ですね。君が代をピッチの上で歌った時に、これが代表の試合なんだっていうのを感じたことを覚えてます。 <岡田武史とは?> すごい人ですね。こっちに来て、会長として会社の経営も含めてやってるのを見ると、もう本当すごい人だなと思って。 <サッカーとは?> 自分と周りを繋げるものですかね。人との繋がりに関しては、サッカーが私と誰かを繋げてくれてるものだと思ってます。 <最初に今治に来たときの決意> 昨年、惜しいところで昇格できなかったっていうのも知ってましたし、何とかあと一歩、あと一つ、背中を押せればっていう思いで来ましたね。予想以上にいい選手がいるなっていうのと、ただ、それでも、まだまだ足りないところも多いなっていう、なんか期待と不安が両方一緒にあった感じでした。 <第11節大宮戦から4連敗のころはどういった状況だった?> いろいろなことを試しながら、うまくいかず、少し変えて少し変えて.....っていうので混乱があったのかなと思います。システムを3バックにした時があったり、選手もちょうど連戦も重なったりして、入れ替えてやりながらっていうところで、そこがうまく回せなかった。 <第17節の相模原戦から3バックに変えた> やはりセンターバックのところで、4枚だと物足りなさというか、力が足りないときもあったので、それだったら3バックの方がうちの選手の特徴も含めて出せるんじゃないかなっていうことで変更しました。 <これで行けるぞと思ったのは?> もう本当に最後の鳥取戦の3点目ですかね。もう、これでもう大丈夫だなって、そこまでもう全くいけるぞっていう感じはなかったです。 <監督のMVPを選ぶとすると誰?> ヴィニシウスじゃないですか。昨年より個人よりチームの勝利っていうのをすごく優先するようになってくれましたし、キャプテンマークを巻いて試合出てくときは、本当にチームのためにいいこと言ってくれて、なおかつ自分でプレーを示してくれる。 <高卒ルーキー横山と梅木、ニュースターの2人の躍進も目立ったが.....> まだまだスターなんて言っちゃ駄目ですよ。まだまだです。横山に関しては、彼の特徴であるドリブルであったり、ゴールへ向かう姿勢だったり、ラストパスその攻撃の精度は高いんですけど、守備はまだまだ足りないところが本当多いですし。彼自身が海外を意識してるんであれば、まだできること、さらに増やさなければいけないと思いますね。 梅木に関しては、もちろん思い切った攻撃参加であったり、クリアするところもはっきりするとかあるんすけど、やはりまだ判断悪かったり、プレーにあまりにも波が大きすぎて。今日はいい梅木かな?悪い梅木かな?とか思いながらやってました。