“昭和の駄菓子” あのワクワクを!脱サラして「とっかん屋」に 少年時代の光景忘れられず各地で実演
特集は懐かしの駄菓子を作る男性です。米や豆を圧力をかけながら炒って、一気に膨らませた駄菓子「とっかん」。作る光景が大人になっても忘れられず、脱サラし「とっかん屋」として各地を巡る男性がいます。 【動画で見る】“昭和の駄菓子” あのワクワクを!脱サラして「とっかん屋」に 少年時代の光景忘れられず各地で実演
こちらは道の駅「信州新町」。 先日、「秋の収穫祭」が開かれ、多くの客でにぎわいました。
催しの中で、特に目を引いていたのは… 「とっかん屋」・中野浩幸さん: 「はい、音しま~す」 大きな音とともにできあがったのは、米の「ポン菓子」です。
筒状の圧力釜に米を入れ、回しながら炒っていくと熱で中の圧力が上昇。 バルブをハンマーでたたくと、一気に圧力が開放され、大きな音と共に米が膨らんでポン菓子に。 この音から、県内では「とっかん」と呼ばれてきました。
この日は無料配布。音に誘われて、客が列を作り、早速、サクサクとした食感の「とっかん」を味わっていました。 子ども: 「サクサクして、おいしい」 スタッフ: 「お米のお菓子だよ」 男の子: 「おいしいです」 女の子: 「おいしい。甘い」
60代: 「昔懐かしいね、小さい頃とっかんのやつあった。公民館みたいなところで、おじさんが来てやってくれた。ドッカン、ドッカンって」
作ったのは安曇野市でポン菓子の店を営む中野浩幸さん(64)。 「とっかん屋」として各地を回っています。 「とっかん屋」・中野浩幸さん: 「こういうイベントとかで、皆さんの反応見られるのは一番いいです。なかなか作るところって見られないものですから、気軽に見たり、その後食べてもらうのが一番良い」
集落を訪れ、住民が持ち寄った米や豆をポン菓子にしていた「とっかん屋」。中野さんはその光景が忘れられませんした。 松本市で育った中野少年。昭和40年ごろは近所にとっかん屋がよく来ていたそうです。
当時は圧力釜を手で回しており、その手伝いをするのが楽しみでした。 「とっかん屋」・中野浩幸さん: 「(回すのは)30分近くかかったんじゃないですかね。その間が楽しくてね、ワクワクして。あの音が好きなもんですからね、子どもはね、それを待っている感じですよね」