「一番きつかったのは俺じゃない。誰だかわかるか」日本シリーズ完全試合継投の夜、落合博満が残した“ひと言” そのときエース川上憲伸は…
落合の言葉の真相を確かめるために…
その問いかけは締め切りの切迫感の中で置き去りにされ、時間の経過とともに記憶の片隅に追いやられ埋没していたが、岩瀬があの最終回を生涯最高のマウンドに挙げたことで脳裡によみがえったのだ。 それから私は、岩瀬のドキュメンタリーを制作するテレビマンとともに取材を始めた。当事者となった人物たちにあらためて証言を取り、原稿用紙30枚にまとめた。言うなれば、あの言葉の真相を確かめに戻った。 その後、『嫌われた監督』を書くことになったとき、真っ先に浮かんだのがこの短編だった。あのゲームには組織と個人、あるいは協調と孤立、責任と信頼をめぐる各々の 断層がちりばめられており、それが舞台の大きさと事象の特異性によって、野球界だけでなく日本社会全体の議論になった。落合が中日という地方球団の監督になってから起こったことのほとんどが集約されていた。そういう意味で異端の指揮官の8年間を描く長編の原型となったのである。 今回、『嫌われた監督』の文庫化にあたってこの短編を収録することにしたのは、ベンチ側に視点をとっている本編第5章「味方なき決断」とは対照的に、この短編がグラウンドに立つ者たち、とりわけマウンドを託される投手たちの視点であのゲームを捉えているからだ。そのため互いに補完しうる、いわば日本シリーズ第5戦「ノーカット版」としての意味合いがあると考えた。 加筆修正に際して、私は新たな人物の証言を取った。 もし、一人でもランナーを出したら......。 もし、このゲームに敗れたら......。
エースの川上憲伸は“あの夜”何を見たのか
最終回のマウンドにストッパーを送った時点で、岩瀬以外の人間はこの重圧からある意味で解放されている。それぐらいの力が岩瀬にはあった。 だが、もう一人、託される側の人間として、岩瀬と内面を共有していた人物がいたのではないか。私はあの後ずっとそう考えていた。それが当時のエース川上憲伸である。 結果的には存在しなかった第6戦に先発する予定だったエースは、あの夜どこにいて何を見たのか。その新たな証言を加えて短編を再構成した。そのためタイトルをNumber掲載時のものから「それぞれのマウンド」へと改めさせてもらった。 <続く>
(「プロ野球PRESS」鈴木忠平 = 文)
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