発足からわずか数年で日本屈指の名門レーベルへ…70年代後半に世界の音楽ファンを唸らせた「伝説のレーベル」
ジャズにロックやラテン音楽など、他ジャンルの音楽を融合させ、大衆化させたものを「フュージョン」と呼ぶ。日本においては1970年代後半から1980年代後半にかけてブームが巻き起こり、カシオペアや高中正義など多くのアーティストが人気を博した。海外で日本のシティポップがブームとなっているのはよく知られているところであるが、じつはいまフュージョンも人気に火がつきはじめている。日本が誇るフュージョンレーベルである「エレクトリック・バード」は1970年代後半にキングレコードで誕生した。音楽メディアSOUND FUJIではその知られざる誕生秘話が紹介されている。 【写真】「日本のフュージョン」の名盤はこれだ 音楽評論家の柴崎祐二氏と共に過去の音源を探求し、日本の音楽の奥深さと魅力に迫っていく連載『Unpacking the Past』。記念すべき第一回目のテーマは"J-FUSION" 長きに渡り続くシティポップの盛り上がりの次に、国内外で再評価の兆しが高まる日本のフュージョン。J-FUSION part2では70年代後半、国内外問わず魅力的なアーティストを見出し、当時最先端のサウンドで数々の名作を生み出してきたエレクトリック・バードレーベルを徹底解説。 文・構成:柴崎祐二 / アートワーク:清水真実 part1柴崎祐二×トリプルファイヤー鳥居対談【「ダサい音楽」だとレッテルを貼られた時代も…けっきょく、日本の「フュージョンブーム」は何だったのか】はこちらから
「エレクトリック・バード」誕生前夜
1977年某日。キングレコード社長(当時)町尻量光は、ある重要な使命を託すために、それまで海外ジャズ作品の編成を手掛けていた同社スタッフの川島重行を呼び出した。曰く、ニューヨークで活動するギタリストの増尾好秋が現地ミュージシャンと新アルバムを制作中で、是非キングからリリースしたいという相談を受けている。更には、その作品を第一弾として「エレクトリック・バード」という名のフュージョン專門レーベルを立ち上げ、優秀な日本人アーティストの作品を継続的にリリースしていってほしい……。 川島は、突然知らされたスケールの大きい構想に戸惑いながらも、憧れの原盤制作業務に携わることができる喜びに胸を踊らせた。CTIやコンテンポラリー、ブルーノートといった名門ジャズレーベルの編成業務を通じて培ってきた経験と人脈をもってすれば、なんとかやり遂げられるだろうという気持ちもあった。しかしそれは同時に、うるさ型の評論家やメディア関係者、更には耳の肥えたファンをも納得させるクオリティの高い作品を作り出さなければならないということでもあった。