マンフレッド・コミッショナーがリッキー・ヘンダーソンさんを追悼「盗塁と1番打者の代名詞」
メジャー通算最多1406盗塁のリッキー・ヘンダーソンさんが20日日本時間21日)、65歳で死去した。 MLB機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーは「何世代もの野球ファンにとって、リッキー・ヘンダーソンは盗塁と1番打者の代名詞でした。アスレチックスで最も愛された選手の1人であり、25年間のキャリアで、ほかにチームにも大きな影響を与えました。近年のルール変更の際には、彼の時代を念頭に置いていました」との声明を発表した。 シカゴ出身のヘンダーソンさんは1979年にアスレチックスでデビュー。80年から7年連続を含む計12度の盗塁王に輝き、82年のシーズン130盗塁は近代野球での最多記録。90年ア・リーグ最優秀選手。スピードだけでなく選球眼にも優れ、通算出塁率4割1厘で「史上最高の1番打者」と称された。 9球団で25年間プレーし、09年に米国野球殿堂入りした。通算3081試合で歴代1位の2295得点、打率2割7分9厘、3055安打、297本塁打、1115打点の成績を残した。 米メディアも続々と追悼記事を掲載。ニューヨークポスト紙(電子版)は「キャリアの大半をアスレチックスでプレーしたが、ニューヨークでもヤンキースとメッツで7シーズン近くを過ごした。ピンストライプのユニホームを着けて最初のシーズン、ヘンダーソンは後に有名になる背番号『24』に変更し、80盗塁、146得点(1939年以来、出場試合数を上回る得点を挙げた最初の選手となった)でリーグトップの成績を収めた」とヘンダーソンさんの偉業をたたえた。
東スポWEB