登山で汗流しながら 中世の歴史に理解 戦国時代の山城を学ぶ講演会も/岡山・津山市
戦国時代の美作国の山城を学ぶ講演会、登山会「美作国荒神山 荒神山城探訪会」(美作の中世山城連絡協議会主催)が30日、岡山県津山市平福の佐良山公民館と荒神山で開かれ、地域住民や県内外から訪れた愛好家ら80人が津山市の中世の歴史について理解を深めた。 【写真】本丸跡地で見つかった瓦のような物
戦国時代、一帯では中国地方の毛利氏と、織田勢力の羽柴秀吉の傘下に入っていた宇喜多氏との間で合戦が行われており、荒神山城は1571~72(元亀2~3)年ごろに備前の宇喜多直家の家臣・花房職秀が美作進攻の拠点として築城した。職秀は皿山城(築山城)や嵯峨山城などを攻め落とし周囲を制圧したものの、95(文禄4)年に主君から切腹を命ぜられ、秀吉の助けにより常陸国(現茨城県)の佐竹氏に預けられたことで、同城は廃城を迎える。
この日は書籍「毛利・織田戦争と城郭」(ハーベスト出版)の著者で山城研究家、城郭談話会員の高橋成計さん(72)=大阪府=の講演会が開かれ、参加者は美作地域における毛利、宇喜多勢の攻防戦にまつわる話に耳を傾けた。その後約50人が荒神山(標高298メートル)の本丸跡地を目指して登山。高橋さんや同協議会の長瀧薫事務局長の解説を聞きながら山中にある城の遺構を巡り、その堅固な作りに対して関心を示していた。瓦のような物を発見し、「これは城の屋根のものだろうか」と興味深く観察する人の姿も見られた。
愛知県から参加した会社員・五十嵐章二さん(59)「山登りが好きで参加したが、津山の歴史に興味を持つきっかにもなった。こういった企画に地元の子どもも参加すると勉強になると思う」。地元住民で荒神山城跡保存会の金谷琢美さん(86)=荒神山=は「地域の歴史を語り継ぐ人が減っている中、多くの人に興味を持ってもらえてうれしい。顕彰が進むことを願う」と語っていた。
津山朝日新聞社