五木ひろし「姉と同い年、丑年だった美空ひばりさん。彼女ほど歌のうまい人はいなかった。9歳で〈完成している〉と言われ」
◆フィニッシュがうまい 先日、最後の東京ドームの不死鳥コンサートをまた観たのですが、あらためて気付いたことがあるんです。それはひばりさんはフィニッシュがうまいということ。フィニッシュというのは歌の終わり方、体操でいえば着地です。体操っていうのは、鉄棒でも跳馬でも途中でいろいろな技を出していっても、最後にピタッと決まるかどうかがとても大事。それと同じことを感じたんです。最後の最後まで大事にして、すぅーーっと実に見事に決めているんです。 あの不死鳥コンサートはひばりさんが命を削って必死の思いで成し遂げたものだったわけですが、そんな体調の悪さを感じさせないような見事なフィニッシュでしたね。歌っていうのは、前奏が始まったときからドラマが始まって、エンディングの最後の最後までが歌なんですよね。それをひばりさんに、あらためて思い出させてもらいました。 あのコンサートの時のひばりさんは、50歳なんですよね。今の僕はすでにそれより26も上になっている。ちょっと驚きますね。(笑)僕が50歳のころはどこまでも声も出ていましたよ。でも、ひばりさんはあれだけの病を抱えて、わずかな段差も上がれず、口内炎もひどかったということを微塵も感じさせていない。たいしたもんです。 それとね、ひばりさんの曲は歌詞を見なくても全曲歌える自分にもびっくりしました。(笑)やっぱりものごころついたときからずっと歌っていますから、体が覚えているんですね。
◆最後のゴルフコンペ きちんと美空ひばりさんにご挨拶したのは、やはり1971年に五木ひろしとしてデビューしてからですね。そのころは歌謡番組がたくさんありましたから、週に何度もお目にかかるようになりました。 そしてひばりさんを中心にした特番などが組まれるときに僕も呼ばれるようになり、特番では小芝居などが入ると、僕はなぜかいつも恋人役なんですよ。 そのうち、ご自宅に呼ばれるようになって遊びにいかせていただくようになりました。ひばりさんのところにいた3人のお手伝いさんの中の一人が僕のファンで、ファンクラブにも入ってくれていたんです。だからひばりさんは、お手伝いさんのためにも僕を呼んでくれたのかもしれませんね。その方々は今は和也くんのお宅にまだいらっしゃるんですよ。和也くんは、最後まで面倒を見ると言っている。いい子ですよね。 ひばりさんはゴルフもなさっていて、毎年ゴルフコンペも開いていました。でも僕はスケジュールが合わなくてずっと参加できていなかった。ようやくある年、名古屋の公演のあと駆けつけて、集合写真を撮ったあとだったんだけど、ひばりさんが「あ、ひろしが来たからもう一度みんな集まって!」と言ってくれて、再度集合写真を撮ってくれた。 始球式はもちろんひばりさんが打つんですが、ひばりさんが失敗してね。やり直ししてましたよ。始球式をやり直すのも珍しいねー、とみんなにやじられてました。(笑) そのとき、僕はひばりさんと同じ組で回ったんです。そこは初めてのゴルフ場だったのですが、なんと僕は初めてパープレイ(72)で回ることができたんです。さらにドラコンはとるわ、ベスグロ。200人近い大コンペの中、一緒に回ったひばりさんに一番いいところを見せることができました。ひばりさんといると、神がかったことや不思議な力が働くんですね。 そして、それがひばりさん主催の最後のゴルフコンペになったんです。 (構成=吉田明美)
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