「子供部屋おじさんはハグがしたい」辛い状況に圧し潰されそうな人へ贈る賛歌の『ジンが願いをかなえてくれない』とは(レビュー)
人生を彩る、ささやかな奇跡。 行成薫『ジンが願いをかなえてくれない』は誰かの身に起きた、信じられない、だが他人からすれば些細な出来事を描いた短篇集だ。 表題作はジン、つまり『アラジンと魔法のランプ』に登場する魔人を呼び出してしまった、高校生・長(なが)羽(はね)初(うい)香(か)の物語だ。現状に不満しかない初香は、自分ではない存在になりたいと望む。しかし願い事をなんでも三つ叶えてくれるはずのジンは、くどくど言い逃れてなかなか聞き届けてくれないのである。ようやく一つの願いを叶えてくれて、というところから話が転がっていく。 「ユキはひそかにときめきたい」の主人公は韓国発の男性アイドルにはまっている。いわゆる推し活だ。ある日彼女は胡散臭い業者から不思議な液体を買う。飲むと正真正銘の「ときめき」が手に入るというのである。それは嘘ではなかった。その日からユキの目には、冴えない五十男の夫が、推しであるアイドルのジュダに見えるようになったのである。 超自然的要素があるのはこの二篇だけだ。だが巻末の「パパは野球が下手すぎる」は、現実に起こりうることしか書かれていないのに、大人のお伽噺とでも言うべき現実離れした内容になっている。野球に熱中する少年の父親がキャッチボールもできない運動音痴だったことがわかる、という出だしが予想もしなかった話に化ける。その落差の大きさに、不覚にも涙を誘われた。 屋上での秘密の昼食時間が二つの人生を変える「屋上からは跳ぶしかない」、ルッキズムなど偏見を超えたところにある人同士の共感を描いた「子供部屋おじさんはハグがしたい」、静かな愛の物語である「妻への言葉が見つからない」など、辛い状況に圧し潰されそうになっている現代人への讃歌として読める作品が並ぶ。片時の安らぎが人の心を救うこともあるだろう。そうした愉悦、ささやかな奇跡となりうる一冊だ。 [レビュアー]杉江松恋(書評家) 1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016年には落語協会真打にインタビューした『桃月庵白酒と落語十三夜』を上梓。近刊にエッセイ『ある日うっかりPTA』がある。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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