沖縄戦の戦跡で初、「第32軍司令部壕」県史跡に指定…多数の住民が巻き込まれた「南部撤退」の決定下す
沖縄県は28日、旧日本軍が那覇市・首里城周辺の地下約10~30メートルに構築し、太平洋戦争末期の沖縄戦で多数の住民が巻き込まれることになる「南部撤退」の決定が下された「第32軍司令部壕」について、29日付で県史跡に指定すると発表した。沖縄戦の戦跡が県史跡に指定されるのは初めて。 【地図】「第32軍司令部壕」の位置…近くに首里城
沖縄戦を指揮した第32軍が、沖縄本島に米軍が上陸する直前の1945年3月から司令部壕として使った。総延長は約1キロで五つの坑道がある。劣勢に立たされた司令官・牛島満中将らは、本土進攻を遅らせるために持久戦に持ち込むことを第3坑道の参謀寝室で検討し、同年5月22日に南部撤退を決定。壕の一部を爆破して撤退したが、避難していた多くの住民も戦闘に巻き込まれて犠牲者が増大した。
県は2021年度から本格的な調査を始め、25年度の一部公開を目指している。史跡指定を答申した県文化財保護審議会は「沖縄戦の方向性を決定づける判断がなされた場所で、次世代に実相を伝える極めて重要な遺跡」と評価した。
玉城デニー知事は28日の記者会見で「来年は戦後80年。指定は教材として活用できるという観点から非常に有意義だ」と述べた。