ひきこもりは「甘え」なのか? NHK『ひきこもりラジオ』が伝える当事者たちのリアル
■庭掃除して100円もらう日々 ――番組に届くメッセージですが、意外なことにいまだに紙の投書もかなりあるとか。 栗原 むしろどんどん増えています。 石井 ラジオも今やネットの時代なので、初期の放送では郵便の宛先を言ってなかったんです。でも放送が始まったら、パソコンもスマホもないって方から投書が来るので、宛先もお伝えするようにして。そうしたら一気に増えました。 ――ということは、radikoではなく、ラジオ機器で聴いている方がけっこう......。 石井 かなりの割合でいらっしゃいます。でも、意外ではなかったですね。スマホを持っていても最低限の契約内容でしょうし。それにお手紙のほうが自分の気持ちを伝えやすいって方もいて。 栗原 筆圧を見るだけでも、すごいエネルギーで書かれているのがわかります。冊子みたいにして送ってくださる方もいますね。 ――ひきこもりについて、よく「働かずにいられる恵まれた環境で......」みたいに批判されることがありますが、ネットにアクセスすらできない人が珍しくないのであれば、実態としては半ば自分で自分を牢獄に閉じ込めているような、かなり厳しい状況にあるということですよね。 栗原 まさにそういった批判はいまだにあると思います。でも僕がはっきり言いたいのは、番組でお話を聞けば聞くほど、ひきこもりの方々は厳しい状況で生きる人たちなのだということです。 例えば、「普段の食事」をテーマにメッセージを募集するとわかるんですが、よくあるのが「ラップに包んだご飯をチンして食べています」というもので。 ――おかずもなしで? 栗原 それだけです。ほかには「庭掃除したら100円もらえるので、それでメロンパンを買って食べています」とか。だから、極めて過酷な状況で生きている。さらには、どのメッセージからも、「死にたい」っていう希死念慮が透けて見えるんです。死にたいほどつらい人がとても多い。楽をしたいからというだけでひきこもり続けているわけではないんですね。 学校でいじめられた、職場でパワハラされた、病気になった、そういったさまざまな要因があってひきこもっている。番組でメッセージを読んでいると、そういった経験がありながらも、なんとかそれでも生きようとじっと身を守っているという実像が見えてきます。 石井 ひきこもりの人たちもずっと何もしなかったわけではなく、何回も就職活動したのに、採用にいたらなかったという人もいます。あるいは年齢を重ねてから病気などで退職してしまい、再就職しようとしたけど、どこも採用してくれずにひきこもることになってしまった。そういう人もいるんです。働きたかったのにできなかったという人もいる。それぞれ事情も状況も異なるのだから、「ひきこもり」をまとめて「甘えだ」って批判するのは、ちょっと違うんじゃないかと思います。 栗原 これはメディアもそうですが、僕らは社会課題の当事者をステレオタイプ化して、大雑把に把握してしまいがちです。本当は人の数だけ現実がある。そのことを社会として捉えられていないんだなと、この番組で実感しました。だからこそ、多様な声を届ける放送が大切なんです。