用水路の上に建てられた「水上ビル」の歴史とは?世にも珍しい川をまたぐように建つ役場も
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた"暗渠道(あんきょみち)"をこよなく愛する道マニア歴15年の髙山英男さんが、愛知県の暗渠道から街の歴史を紐解きます。 【動画】世にも珍しい!?川をまたぐように建つ役場は【7分37秒~】
用水路の上にビル群!?「水上ビル」でフタをされた暗渠の歴史を調査!
髙山さんと一緒に旅をするのは、アイドルグループ・SKE48の入内嶋涼(いりうちじまさやか)さん。2人が訪れたのは、愛知県豊橋市の豊橋駅西エリア。 (道マニア・髙山英男さん) 「愛知には人を救ってきた大きな川や用水がたくさんあるが、時代とともに今は一部暗渠になっている。今日は、豊橋市にある珍しい暗渠道をたどって街の歴史を紐解きたい」 2人は、「豊川(とよがわ)」から引いたという「牟呂(むろ)用水」を辿ることに。 豊橋市を中心とする東三河(ひがしみかわ)地域は、大きな川が少ないため昔から干害に見舞われたエリア。この状況を危惧し、明治20年に農地を潤すため「牟呂用水」の開削が着手されました。かつては洗濯や、魚や蛍をとって遊ぶ場所として親しまれ、今でもこの地域の生活を支え続けています。 「牟呂用水」は豊橋駅の線路を交差するように暗渠になっており、線路下に流れる水面を確認できます。線路を越えて豊橋駅の東側の暗渠を辿ると、なんと暗渠の上に建物が! (道マニア・髙山英男さん) 「全国でも有名な"水上ビル"と呼ばれていて、暗渠の上にビルと商店街が約800mに渡って並んでいる」 一般的には、車止めを置くなど重量がかからないよう配慮される暗渠道。しかし、このエリアでは「牟呂用水」がビルでフタをされた暗渠になっています。 「水上ビル」の誕生は、戦後間もない頃のこと。空襲で被害を受けた豊橋では、駅前の一等地で闇市が開かれていました。しかし、徐々に街が復興するとともに何度も立ち退きを命じられる状況に。そこで目をつけたのが、「牟呂用水」のスペース。 豊橋市の河川に関する条例(昭和44年)が施行される前の昭和39年、水上に「大豊(だいほう)ビル」が建設されました。 内部は1階が店舗、その上は住居という縦割りの長屋形式で、当初はビルを一周すればなんでも揃う"横のデパート"として重宝されたと言われています。 その後、「豊橋ビル」と「大手ビル」も完成。「大豊ビル」を含めたビル群は総称して「水上ビル」と呼ばれ、髙山さんが言う「他では見られない全国的にも珍しい暗渠」が誕生しました。 暗渠には「かやまちはし」と書かれた橋が今も残されており、ビルが途切れると「牟呂用水」は暗渠から開渠へと変わります。