「MAJOR」作者 漫画超えた大谷翔平の二刀流 野球界の希望
人気野球漫画の「MAJOR」。けがによる左投げ転向、高校卒業後の米大リーグ挑戦など、数々の困難を乗り越える主人公・茂野吾郎の半生を描いたストーリーだ。 【写真特集】「MAJOR」の名シーン 「先人の作った『目指せ甲子園』のような漫画は絶対に描きたくなかったんですよ」。そう語る作者の満田拓也さん(58)の目に、現在の高校野球や米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(29)の大活躍はどう映っているのだろうか。 ◇「逃げていた野球をやるしかない」 満田さんは広島県福山市出身。10歳だった1975年、地元の広島東洋カープがセ・リーグを初めて制し「野球に洗脳されたと言ったら言い過ぎかな(笑い)」。水島新司さん作の人気野球漫画「ドカベン」にも熱中し、漫画家を志した。 当初は野球漫画を描くのに後ろ向きだった。 「水島先生がルールを含めた野球の面白さを全部描いてしまっていて、何をやっても二番煎じになるという感覚がありました」 それでも、高校の男子バレーボール部をテーマにした「健太やります!」の連載を終え、次回作を考えていた時に「逃げていた野球をやるしかない」と腹を決め、「MAJOR」に取りかかった。 作中に登場する高校野球最強のチームが海堂高だ。徹底した「分業制」を敷く。吾郎は海堂高に入学するも、聖秀学院高に移る。そこで自ら野球部を作り、3年夏の地方大会で大けがを抱えながら投げ続ける。 一瞬に懸ける球児の思いを尊重すべきか、健康面を考えて分業を進めるべきか――。満田さんは「この問題でどちらが正しいと言うのは僕は難しい」と悩む。 「ドラマチックにするため、(吾郎に)けがや無理をさせる展開に頼ってしまった面があります。高校野球で燃え尽きていいという選手の思いも尊重すべきでしょう。だから、一概には言えませんが、せっかくの才能を潰してしまうかもしれません」 今年、開催中の選抜高校野球大会は創設100年、阪神甲子園球場も開場して100年という節目の年にあたる。満田さんは「海堂高の新入部員が離島(通称『夢島』)で行うようなむちゃな練習ではなくて、適切な練習で選手を効率的に伸ばす現場が増えてくればいい」と期待する。 そして、投打二刀流を実現させた大谷選手の存在に希望を見いだしている。 「MAJOR」の連載中は「現実から乖離(かいり)したことはできないと思って、結局は(吾郎を)ピッチャーに落ち着かせました。そもそも体の使い方が違うだろうってね」と、二刀流の成功を描くのにためらいがあったと明かす。 今はその常識が覆り「子どもたちに夢はある」と感じている。「医学とトレーニング方法の進歩であんな(大谷選手のような)選手が生まれるんですから」 漫画を超えていった選手の活躍が、野球界の明るい未来につながってほしいと願っている。【深野麟之介】 ▽みつだ・たくや 1965年6月17日生まれ。82年、「蛮勇」で漫画家デビュー。94年に「週刊少年サンデー」で始まった「MAJOR」は、第41回小学館漫画賞を受賞するなど、連載が16年続く人気漫画となった。2015年から、吾郎の長男・大吾が主人公の「MAJOR 2nd」を連載している。