【平成のスターが生まれた日】1996年4月15日にSMAPが激変させた「ジャニーズの不文律」
森且行の脱退という「最後のピース」
西暦のディケード、~年代という10年の単位は、その前半と後半とでがらりと様相を変える。半ばの年が転換点だ。代表的なのが、1945年。太平洋戦争終結のその年を境に、戦中と戦後に分かれる。10年後、1955年には自民党と社会党との「55年体制」が確立した。 【画像】ジャニーズ若手ホープと女性ファンの「流出ツーショット」写真…! 同様に重要なのが、1995年である。1月に阪神淡路大震災が起こり、3月に地下鉄サリン事件が勃発して、オウム騒動が世を揺るがせた。奇しくもそれはジャスト戦後50年の年だ。 バブル崩壊は1991年~1993年の期間とも言われる。だが、90年代前半はまだまだバブル気分が残っていた。その内、景気回復するだろうという楽観論が支配した。それを叩きつぶしたのが、1995年である。その後、「失われたX十年」という呼称が延々と続き、長期不況は現在へと至った。その意味で、翌96年こそ、平成が本当に始まった年と言えるだろう。 1996年4月15日、これは歴史に残る日だ。午後9時からフジテレビのドラマ『ロングバケーション』が始まった。初回の視聴率は、なんと30.6%。主演は山口智子、そして木村拓哉だ。木村はこのドラマで大ブレークを果たし、「キムタク」は国民的人気のアイコンとして輝いた。 同じ日、続く時間帯に『SMAP×SMAP』が放送開始している。「月9」ドラマで視聴者を泣かせた木村が、アイドルグループの一員として笑わせ、楽しませた。『SMAP×SMAP』はその後、20年間も続く超人気番組となったのだ。この日、フジテレビの主導で長く続く<SMAP体制>が確立された、とも言えるだろう。 とうとうSMAPの時代がやって来た! いや、その前に一つの大事な要素が残っている。SMAP伝説というジグソーパズルを完成させるための、いわば最後のワンピースだ。 そう、森且行の離脱である。森はSMAPを電撃脱退した。長年の夢だったオートレース選手になるため芸能界を引退、転身したのだ。1996年5月のことである。森が『SMAP×SMAP』に出演したのは、わずか1ヵ月半にすぎない。 その後、いったいどうなったか? 彼の存在は完全に抹消された。森且行は「いなかった」ことになったのだ!? 過去の映像で森が映る場面ではボカシが入れられた。恐ろしい。まるで共産主義政権で粛正された元幹部が記録写真から「消される」ようなものである。 そこまでやるのだ。ジャニーズは。事務所を辞めた者らは存在を抹消する。その後の芸能活動を妨害……いわば徹底的に「干す」。 ◆ファンと結んだ「共犯関係」 森且行に対する理不尽な仕打ちは、20年後、SMAP解散以降、事務所を退所した“新しい地図”と呼ばれる3人への仕打ちを先取りしている。やがて来る理不尽な未来を暗示しているようでもあった。 しかし……。あくまでそれは事務所の運営サイドの思惑にすぎない。SMAPのメンバーらは違った。時折、ポロリと森のことを口走ったりもした。それはファンやテレビの視聴者に対するひそかなサイン、いわばそう、ウインクのようにも感じられたのだ。 彼らはそっと片目をつぶり<今も森且行は、俺たちの仲間だ!>とメッセージを送る。テレビモニターのこちら側でそれを受け取り、私たちはしっかりとうなずく。そうすることで、彼らと共犯関係になれた。 どういう意味か? つまり、SMAPはもはや単なるアイドルグループではない。すなわち、それは一つの生き方なのだ。 自由であること。楽しくあること。仲間を大切にすること。人を喜ばせること。何より、好きなことを思いっきりやって、生きること。 森且行はグループを離れたが、「自分の好きなことをやる」という意味で、つまり彼は<精神のSMAP>なのだ! 森且行が今もSMAPであるということは、私たちは誰もが<精神のSMAP>になれるということだ。このグループの6番目の席は、そうしていつも、誰に対しても解放されているのである。 SMAPのやったこと。それはあまりにも膨大で多岐にわたる。メンバー個人が、ドラマや映画や演劇や、バラエティーに出演した。5人が集って、歌やダンスやコントや……数々の名曲をリリースし、数限りないライブやコンサートを披露した。そのすべてを挙げて評することなどとてもできないだろう。 そこで、このグループの特質を考えてみたい。SMAPが変えたものがある。ジャニーズの歴史上、はっきりとSMAP以前と以降に分けられる。ジャニーズに限らない。アイドル、いや、我が国の芸能界にとって、SMAPは大きな変革をもたらした一つの特異点なのだ。 まず、その活動期間の長さである。 歴代のグループを振り返ってみよう。初代ジャニーズは、5年。フォーリーブスは、11年。シブがき隊は、6年。男闘呼組は、8年。光GENJIは、8年。 対するSMAPは、なんと……28年なのだ!! すごい。これは異様な長さである。 このことは、SMAPのもう一つの大きな特質を生むことになった。 デビュー時に11歳~15歳だった彼らは、解散時には39歳~44歳になっている。もはや中年期だ。SMAP以前に40代のアイドルグループなんて考えられないことだった。彼らは、アイドルにまつわる年齢の概念を変えたのだ。 ◆『世界に一つだけの花』に隠された思想とは SMAP以後のTOKIOやKinKi Kids、V6、嵐らは長く活動を続けることになる。もちろん、それはSMAPが切り開いた道を後輩グループたちが続いて歩んだということなのだ。SMAPがいなければ、後進たちの活躍もあったかどうか。これほど巨大なジャニーズ帝国は存在せず、芸能界の風景も現在とは随分と違っていたことだろう。 ジャニー喜多川は、率直にSMAPの活躍を認めた。それまでの彼の価値観に反していようとも。歌とダンスだけではない。コントやコメディーの才覚は、クレイジーキャッツにも通じると称賛したとも言われている。 SMAPは、飯島三智がマネージした特異なアイドルだった。が、後続のグループは、メリー喜多川や娘の藤島ジュリー景子がマネージメントを務めることになる(SMAPと他のグループはテレビ番組で絡まなかった)。それが、やがて歳月を経て、あの決定的な破局をもたらす原因となるのだが……。 SMAPは、国民的アイドルになった。その頂点が、『世界に一つだけの花』である。’03年に発売されたシングル盤は300万枚以上を売り上げた。1980年代以降で我が国の最大のヒット曲だ。平成にもっとも唄われた、『君が代』と並ぶ国民ソングと言ってもよい。 そのメッセージは明瞭である。 <No.1にならなくてもいい もともと特別なonly one> ナンバーワンをめざす高度経済成長期のいわゆる“昭和の価値観”ではない。私たちは誰もが特別なオンリーワンなのだ。それを圧倒的にナンバーワンの人気アイドルたちが唄うのである。これぞSMAP精神のピークと言ってもいいだろう。 長く続く不況期、「失われた」と形容されるその時代――平成に、私たちは『世界に一つだけの花』を唄って、生きた。月曜の夜には『SMAP×SMAP』を見て、楽しんだ。それは永遠に続くかのように思われた。 SMAPは、ずっと人気グループであり続け、メンバーたちは50代、60代になっても、トップアイドルであり続けるだろう、と。 しかし……。 ある日、突然、<永遠の夢>は終わりを告げる。私たちが抱いた、あの輝かしい<SMAP精神>は無惨な最期を迎えるのである。 取材・文:中森明夫
FRIDAYデジタル