中野美奈子さん(44)アナウンサー第一線から海外・地方移住…決意の裏側|STORY
フジテレビのアナウンサーとして活躍されていた中野美奈子さん。「めざましテレビ」、「情報プレゼンターとくダネ!」と、毎朝中野さんを見ていた方も多いのでは。情報番組のキャスターからバラエティ番組の司会まで、様々な番組に出演し、キャリアを積んでいた中、2012年ご主人の海外勤務に帯同するため、10年間勤務したフジテレビを退社。仕事をゼロにして移住する、潔い決断ができた理由とは? そして2021年地元香川県にUターン移住。結婚、出産育児…と、ライフステージが変遷するなかでキャリアに悩む方も多い40代。中野さんの選択してきた働き方を伺いました。 【写真あり】移住先プライベートショット...中野美奈子さん(44) ■中野美奈子さんプロフィール 1979年生まれ。フリーアナウンサー。慶應義塾大学卒業後、2002年フジテレビに入社。「めざましテレビ」「情報プレゼンターとくダネ!」など看板番組を担当。10年間第一線で活躍後フリーに。2012年夫の海外勤務に伴いシンガポールに帯同。現在は地元香川県で生活。1男1女の母。
全力投球だったからこそ、一度仕事をゼロにできた
――アナウンサーにはいつからなりたかったのでしょうか?大学入学で上京するときには意識していましたか? もともと小さい頃から、テレビがすごく好きで、大人になったら、あの箱の中に入って働いてみたい、と漠然と憧れていました。明確にメディアの世界で生きることを意識したのは大学受験のとき。慶應義塾大学でマスコミ関係のゼミがあると知り、そこで学びたいという強い思いがあって、東京に出てきました。東京は田舎から出てきた私には、とても刺激的でした。まず電車の本数が全然違って(笑)。 最初は方言もあったし、アナウンサーに限らず出版社や新聞社にも興味があったのですが、ゼミ活動の中でいろんな企業を見ていくうちにテレビ局への興味が改めて強くなっていきました。アナウンサーになりたいときちんと思ったのは就職活動のときでした。 ――入社1年目で「めざましテレビ」に起用されるなど、アナウンサーとして第一線で活躍していたなかで、仕事から一旦離れる決断ができたのはなぜですか?仕事は辞めたいと思っていましたか? アナウンサーは、なりたくて選んだ仕事で、仕事自体は好きで刺激的ですし、楽しかったです。でも時間的にしんどいというのがありましたね。明日朝2時半に起きなくてはいけないのに、収録の仕事が押して23時にまだ会社にいるとか。体力的にしんどい時もあったけれど、若いときは若さでカバーできて、寝ずに「めざましテレビ」に行ったこともありました。 だから、体力が持たなくなるかもしれないから、「いつなんどき辞めてもいいという気持ち」で仕事に取り組もうと思って、目の前の仕事に一所懸命に全力で臨んでいました。すると、達成感や幸福感があって、この仕事がやっぱり好きだな、次の日も頑張ろうと思える。 10年間仕事に全力投球で向き合ってきたので、医師である夫から海外で働いてみたいと聞いたとき、応援したいと思いました。私自身も海外に一度は住んでみたいと思っていたので、迷いなく帯同しました。 もし日本にいてテレビが見られる状況だったら、続けたかったなという後悔や迷いがあったかもしれないですね。海外だったから、一回すっぱり仕事をゼロしようと踏ん切りがつきました。