耳が聞こえない親を持つ子ども CODAが抱える様々な葛藤
khb東日本放送
CODA(コーダ)という言葉をご存じでしょうか。Children Of Deaf Adultsの略で耳が聞こえない、または聞こえにくい親の元で育つ耳が聞こえる子どものことです。宮城県で撮影された、CODAを主人公にした映画が20日に公開されるなど関心が高まっています。様々な葛藤を抱える当事者たちです。 【写真】CODA
13日に宮城県で先行上映が始まった映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」は、俳優の吉沢亮さんが主演を務め、耳の聞こえない両親と聞こえる息子が織りなす物語を繊細なタッチで描いています。 原作者の作家、宮城県塩釜市出身の五十嵐大さんです。耳の聞こえない両親の元で育ちました。 五十嵐大さん「うちは両親がテレビの音消してるんですよ。だからすごい静かなんですけどそれがすごい落ち着くんですよね、音が無いのが」 幼少期から、両親とは手話や口の動きを読み取る口話でコミュニケーションを取っていた五十嵐さんは、両親のために通訳をすることも当たり前の日常でした。 五十嵐大さん「親の役に立ちたいと思っていたので率先してやっていたし、それで親がありがとうとか助かったとか言ってくれるとうれしかったりもしたんですよ」 しかし、小学校に入り友達との関わりが増えると「自分の家は普通ではない」と感じるようになりました。 五十嵐大さん「家に友達を連れて来た時に、母が口話で良く来たねとかこんにちはってあいさつをしたんです。ただはっきりとした発音はできないんです。そしたらその友達が大ちゃんちのお母さんって喋り方変だねって言ったんですよ。僕はそれがすごくショックで、うちのお母さんって外から見ると変なんだって思ったんですね」 周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、やがてその矛先は母親へと向かいました。 五十嵐大さん「どうしてお母さんは耳が聞こえないんだとか、障害者の家に生まれてきたくなかったって言ったこともあります。本当に申し訳ないと思ってますけど」 五十嵐さんを変えたのは、上京後に入った手話サークルで出会ったCODAという言葉でした。自分の生い立ちに名前があると知り、苦労や葛藤を共有できる同じ境遇の人たちと出会ったことで、自分自身や両親と向き合えるようになりました。 そして、苦しかった過去を吐き出してみようと書き始めたのが、映画の原作となった一冊でした。 五十嵐大さん「書きながら過去を整理していった結果、自分はすごく愛されてたんだとか父と母の存在の大切さみたいなのが見えてきて。せっかくだったらこれをきっかけにコーダについて知ってもらえたら良いなって思うようになったんですよね」 CODAは、国内に少なくとも2万人以上いると推定されています。仙台市に住む宍戸美智子さん(49)もその1人です。両親は耳が聞こえません。 宍戸美智子さん「普通に言葉を覚えるような感じで、それが私にとっては手話だったっていう感じです」 父親宍戸勝明さん「私は発音がうまくできないので、聞こえる親ならできると思いますが、私は(娘に正しい言葉を)教えることができなかった」 美智子さんは幼少期から買い物や病院、町内会など日常生活の中で両親に音の情報を伝える役割を担ってきました。 宍戸美智子さん「子どもにとっては難しい話なので、それを何とか子どもなりに親にどうやって伝えるかという苦労はあったと思います」 父親宍戸勝明さん「(娘には)感謝の気持ちと申し訳ないという気持ちはあります。本当に娘には助けてもらいました。聞こえる人の話が分からないので娘に助けてもらいました」 美智子さんも、五十嵐さんと同じように耳の聞こえない親を持つ子どもに向けられる言葉に戸惑った経験がありました。 宍戸美智子さん「色々親のために通訳したり頑張ってかわいそう、偉いねとかそういうのはちょっと違和感かなってずっと小さい頃から思っていたので。とりあえずかわいそうじゃないっていうことは言いたいかな」 CODAが抱える葛藤や親子の愛を描いた映画を通し、CODAという存在を知って欲しいと五十嵐さんは話します。 五十嵐大さん「言えない人もいると思うんですよ自分がCODAだって。それはもしかしたら過去に傷ついてきたからかもしれないし。そういう人たちが身近にいるかもしれないって、ほんの少しで良いから想像してもらえるとうれしいですね」 MOVIX仙台など宮城県9つの映画館で先行上映されている映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」は、20日から全国の映画館でも公開されています。
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