野球少年から葬祭業の道に 台湾出身の青年、日本の葬祭文化「台湾の手本に」
(東京中央社)専門学校東京ホスピタリティ・アカデミー(東京都新宿区)の葬祭ディレクター学科で今年、初の台湾人卒業生が誕生した。野球少年から紆余曲折を経て、葬祭業の道にたどり着いた呉さん。日本で学んだ葬祭文化を台湾に持ち帰り、より多くの人に肉親を見送る際の後悔を減らしてもらいたいと目標を掲げる。 台湾の葬祭サービス業はこの10年余りで大きく進歩したが、葬祭サービスに関する高等・専門教育は死生学の分野に付随するもので、「葬祭」の名が付く学科はまだない。 呉さんが日本にやって来たのは9年前。甲子園に出場し、プロ野球選手になりたいとの夢を抱いて訪日したが、けがや低迷期もあり、大学2年生に進級するその年、熟慮の末に野球人生を終えることを決めた。それから保険外交員やカフェ店員などを経験し、最後には曽祖父の代から営んできた葬祭業に戻ってきた。「巡り巡って原点に帰ってきた。もしかしたらこれが自分の使命なのかもしれない」と話す。 葬祭ディレクター学科で2年学んだ後、呉さんは厚生労働省認定の葬祭ディレクター技能審査2級に挑戦した。葬祭業界で働く人にとって必要な知識や技能のレベルを審査、認定する制度で、試験内容は学科試験から式場設営、接遇、司会、葬祭ディレクターとしての実践面における理解の評価まで多岐にわたる。呉さんは、外国人にとって最も困難なのは、言い回しが難しいフレーズや経文などを日本語で言わなければならないことだと明かす。呉さんはたゆまぬ努力の末、葬祭ディレクター技能審査2級を取得した初の台湾人になった。 呉さんは、日本では葬祭業がさらに商業化していると分析する。毎年開催される葬祭サービス産業の展示会では最先端の関連用品が紹介される他、関連サービスも数多く生み出されるなど、終活産業は余すことなく展開されていると指摘する。一方で、日本の葬祭業は時代の先端を歩み、新たな科学技術を絶えず追い求めているだけでなく、同時に人に寄り添う一面もあるとの見方を示す。日本の葬儀の過程ではプライバシーが尊重され、亡き家族を思う時間と空間が遺族に十分に与えられるとし、このような残された人に対する思いやりは台湾が見習える部分だと語った。 日本では、葬祭業従事者の仕事に対する素晴らしい態度や細やかな配慮を目にした。呉さんはこの経験によって、日本の葬祭文化を台湾に持ち帰ることを決めた。「より多くの人に肉親を見送る際の後悔を減らし、より多くの感謝を感じてもらいたい」。呉さんは意欲をのぞかせた。 (戴雅真/編集:名切千絵)