全十五編、異形のものへの愛おしき想い。そして古典に対する懐かしきデジャブ(レビュー)
井上雅彦監修の〈異形コレクション〉も今回刊行される『屍者の凱旋』で、はや五十七冊目を数える。 冒頭の“編集序文”を読むと、この一巻はかつて廣済堂文庫から刊行された〈異形コレクション〉最初期の作品『屍者の行進』のテーマを甦らせたと編者は言っている。 したがって本書のページを繰ると懐かしいデジャブを感じるのも無理のないことで、私たちがやってみたいのは『屍者の行進』が幾星霜を経て『屍者の凱旋』へといかにして変化していったか、そのバックボーンを探ることである。 異形のものに対する編者の愛おしき想いは、この祭典の中で一貫している。全十五編、どれも意欲に満ちた作品ばかりだ。 今回のアンソロジーで膝を打ったのは、幽霊や妖怪の登場の仕方だけでなく、その退場の仕方。それがどれだけ鮮やかに描かれているかも読書のポイントの一つだ。 さて、こうした最新作の乱舞を目にしているとその一方で古式ゆかしき作品も読みたくなる。
まずは平井呈一翁の完訳版によるブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(創元推理文庫)。そしてもう一冊も平井翁の訳業によるJ・S・レ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』(創元推理文庫)である。 前者は長い間、ベラ・ルゴシが主演した戦前の映画の題名をとり『魔人ドラキュラ』として読まれてきた。その完訳版が刊行された時の胸高鳴る想い、“カーミラ”が登場した時の興奮。海外怪奇幻想文学の紹介が少なかった当時、それは貴重な一冊であり、友達と小遣いを出し合い、耽美の夜は更けていった。
だが紹介される作品が少ないのもなかなか楽しいもので、少ないだけに各自読んでいる作品が限られており、かえって皆んなで意見の交換を仕合ったのも懐かしい思い出だ。 古典中の古典、“プリンスオブダークネス”である“吸血鬼”は、私たちの心を魅了してやまない。レズビアニズムの導入された“カーミラ”にも驚かされ、永遠に私たちの好奇心を刺激し続けている。 [レビュアー]縄田一男(文芸評論家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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