長野県民の“ソウルフードちくわ”、南部では「ビタミン」だけでなく「ヤマサ」も根強い人気 豊橋の味が「塩の道」で北上
長野県飯田市の名勝天竜峡付近でこのほど開かれた「南信州天龍峡マルシェ」で、「ヤマサちくわ」(愛知県豊橋市)のブースに来場者が次々と足を止め、ちくわを買い求める姿があった。長野県内のスーパーなどでよく見かけるのは石川県七尾市の水産加工会社「スギヨ」の「ビタミンちくわ」。だが、飯田下伊那地域では、ヤマサちくわの人気は根強く通販で買う人もいる。どんな背景があるのか探った。(渡辺真康) 【写真】飯田市のマルシェで次々と売れるヤマサちくわの商品
「あっ、ヤマサ」「豊橋の有名なちくわだよね」。10月下旬、ヤマサちくわのブースで弾んだ声が聞こえた。十数年前まで飯田市で商店を営んでいた田畑和司さん(70)、寛子さん(70)夫妻は「ヤマサを親の代から取り扱っていた」と懐かしそう。練り物を買った女性は「ヤマサは生、ビタミンちくわはおでんや磯辺焼き」と使い分けているという。 天龍村の村観光施設「龍泉閣」売店店主の熊谷明美さん(68)は「新型コロナの感染拡大前までヤマサの商品を売っていた」と話し、「ヤマサ」と書かれた冷蔵ケースを示した。歯ごたえがある食感と口に広がるうまみを求め、飯田市、天龍村に近い浜松市北部からも買い求める客がいた。龍泉閣はJR平岡駅に併設。新型コロナによる駅利用者激減で販売を止めたが「ヤマサの商品は売店の名物の一つだった」と振り返った。
豊橋のちくわは「塩の道」で定着
江戸時代、現在の愛知県豊橋市が含まれる三河国から信州まで塩を運ぶ「塩の道」があった。「海なし県」の信州では、穴に塩を詰め、さらに塩を振って保存性を高めたちくわが珍重されたという。ヤマサちくわの佐藤元英社長は「お客さんのエリアが広がった」とし、豊橋のちくわ産業の基礎をつくったとする。 鉄道開通後、東北産ちくわが信州へ進出し始める。そんな時、豊橋のちくわだと見分けられるようにしてほしい―との要望が信州から寄せられたと佐藤社長。ヤマサがちくわの両端を焼かずに白くして目印にしたのを他社が踏襲し始めたという。佐藤社長は「信州の人が言い出さなかったらちくわの端が白くなっていない」と打ち明ける。 1937(昭和12)年に辰野―豊橋間がつながったJR飯田線でもヤマサちくわの商品が運ばれ、行商人が駅ごとに販売した。こうした歴史も踏まえ、佐藤社長は飯田下伊那について「特別な感情がある」と話す。これまでも塩の道にちなんだ催しを開いたり、飯田市の食品メーカーと連携したりしてきたという。