幕末庶民のプライドが垣間見える「かわら版」と「古写真」研究
古写真は、外国人のお土産用に売られていましたので、ありのままと言っても、売るための商品でしたから、あえて演出を加えて撮った写真もあります。当時の写真は露光に1分などと長い時間がかかりましたから、ブレずに撮れている写真は演出を加えて撮影されたものです。 撮影は大変でした。当初はヨーロッパ人が撮影していました。その後、外国人と交流のあった上野彦馬(1838~1904)がカメラを勉強し、スタジオを開きました。日本人が写真術を学び、システムを理解して、撮影時間を短くしていき、自分のものにするまで10年はかかっています。 芸姑さんの写真などは、写真館がアレンジしていていました。どの写真にも写っているような、モデル業の走りのような女性もいます。研究材料としては優秀ですが、作られたものであるということは前提としなければいけません。逆に当時ヨーロッパ人が日本人をどうみていたのかが分かります。 西洋の美的感覚とは違っていて、エキゾチックな写真が好まれました。幼い女子が赤ちゃん背負ってる農村の写真などは、彼らが純粋に可愛らしいと思っていたのでしょう。
── 古写真からは何が見えてきますか? 江戸末期から明治時代中盤にかけて、庶民の文化にはプライドがありました。当時の民衆の世界は、政治の世界から独立して、民衆独自のシステムを持っていました。自分たちの生活は自分たちで守るというプライドです。 彼らの表情を見ると、力強い、楽しそうな目をしている。現代と比べると、経済的には低い段階にあったわけですが、抑圧されている弱者のような顔をしていません。 現代では、「高齢者に特権があるから許せない」と、老人を差別する意見も聞きますが、江戸時代は正反対で、若い人たちは「年をとりたい」と思っていました。年をいった人たちの人生の方が素晴らしいと思っていたのです。その時代なら、年配になって、たとえば旅行を楽しみたいと思っていました。 そのため、政治に対する不満は少なかったのではないでしょうか。政府を転覆させようとか、違う政治を準備しようとは思っていなかったでしょう。 芝居小屋前の人だかりの写真などには、国としてのすごい勢いが感じられます。私たちが見ても、羨ましいなという風景が明治時代に見えます。