サブスクも登場、手が届きやすくなった「夢の別宅」
「お金持ちが避暑に行くところ」というイメージがある別荘。その歴史は平安時代にまでさかのぼるとされるが、最近は、サブスクリプション(定額制)の別荘も登場し、手が届きやすくなってきた。 【写真】軽井沢の別荘地…コロナ禍でも地価の上昇は続いた
疲れ癒やす場 平安時代から
別荘とは「避暑などに適した離れた地に設ける別宅」(広辞苑)を指す。
平安時代の別荘文化に詳しい京都女子大の小山順子教授によると、平安貴族は、平安京に近く、自然が豊かな地や交通の要所に別荘を設けた。「都から牛車で半日程度と行きやすい場所で政務などの仕事の疲れを癒やし、狩りや船遊びなどを楽しんでいたようです。昔も今も別荘の楽しみ方は変わりません」
別荘は、四季を感じ、和歌などの文化を生み出す舞台でもあった。鎌倉時代初期の歌人、藤原定家は京都・小倉山の別荘で山や川などの情景を詠み、小倉百人一首を選んだ。
別荘文化が発展したのは明治期以降だ。長野県軽井沢町や神奈川県鎌倉市などに、外国人宣教師や日本人の富裕層が、避暑や保養のために別荘を建てた。
文豪も別荘暮らしを愛した。軽井沢町教育委員会によると、室生犀星は亡くなる前年の1961年まで30年間、毎夏、町内の別荘で過ごし、訪れた堀辰雄や川端康成、志賀直哉らと交流を深めた。別荘はその後改修され、町運営の「室生犀星記念館」として面影を残している。
別荘は歴史・文化的な遺産としての価値も持つ。1919年に実業家が静岡県熱海市に築いた起雲閣は、装飾が豪華な和・洋館や緑豊かな庭園の美しさに目を奪われる。現在は熱海市が所有する人気の観光スポットだ。
所有者減も「自宅以外の居場所」ニーズ
バブル崩壊以降、別荘を取り巻く状況は変わった。総務省の住宅・土地統計調査によると、別荘など「二次的住宅」の戸数は2003年の49万8000戸をピークに減少し、23年は23%減の38万4000戸となっている。所有者の多くは60~70代だ。
別荘事情に詳しいリゾートライター、平野ゆかりさんによると、別荘の所有には、〈1〉多額の初期費用と維持管理費が必要〈2〉別荘のある場所ばかりに行くために飽きやすい〈3〉掃除の手間〈4〉売却・処分の難しさ、などのハードルがある。だが、平野さんは「自宅以外にもうひとつの居場所を持ちたい気持ちが消えたわけではない」と話す。