【大学野球】佐々木朗希の弟・怜希はなぜ野球継続を決断したのか 「鍛えていけば伸びると思いました」
比べられることは承知の上
黒のグラブは、体の一部である。中大の1年生・佐々木怜希(大船渡高)は東京都八王子市内の合宿所に入寮の際、大切に持ち込んだ。 【選手データ】佐々木朗希 プロフィール・通算成績 「兄からもらったものです。プロ入り後に使っていたもの。3年夏の岩手大会でも使いました。大事なものです」 兄とは4歳上のロッテの165キロ右腕・佐々木朗希である。 兄と同じユニフォームを着た大船渡高時代は1年秋から遊撃手のレギュラー。2年夏は背番号8を着け、2年秋から「指導者とも話し合い、自分が投げれば、強くなる」とチーム事情により、投手に転向した。3年春から兄と同じ背番号1を背負った。同夏は岩手大会3回戦(対盛岡一高)で敗退(1対3)。先発した佐々木は3回途中3失点で降板し、兄が在籍した19年以来の8強進出を逃した。 「高校3年で、野球はやめるつもりでいました。大学では普通に勉強して、その後の人生を考えていこうと思っていましたが、悔しい結果で終わったので、大学で野球を続けよう、と。昨年8月に中央大学の練習を見学し、チームとして結果を残しているし、雰囲気も良い。魅力的だと思い、入学を志望しました。合格が出るまでは練習をしてはいけないので、勉強をしていました」。昨年12月のスポーツ推薦入試を突破し、中大文学部に合格した。
なぜ、野球継続を決断したのか。自身の「可能性」にかけてみようと思ったのが一番だ。 「体づくり、柔軟性。鍛えていけば、伸びると思いました。投手をやって、野球の楽しさが分かりました。大学で続けようと決めたときから、投手でやっていこうと思いました」 小学6年時、猪川野球クラブで全日本学童大会(16強)に出場した際は遊撃手、大船渡一中では三塁手だった。高校時代に使った内野手、外野手用のグラブは東京に持ってきていない。投手一本で勝負。兄と同じポジション。比べられることは、承知の上である 「プレッシャーはあるんですけど、(自分とは)レベルが違う。大きくは感じていない」