北の富士さん死去、82歳 67年初優勝、72年サーフィンで厳重注意、75年引退相撲でネオン無情/年表
角界のご意見番だった元横綱北の富士氏が逝った。NHK相撲解説者の竹沢勝昭氏が亡くなっていたことが20日、分かった。82歳だった。関係者によると秋場所後に体調を崩して、入院していた。12月に都内の八角部屋でお別れ会が開かれる予定。名門出羽ノ海一門を破門されたが、70年初場所後に52代横綱に昇進して通算10度優勝。引退後は千代の富士、北勝海(現八角理事長)の両横綱らを育てた。 【写真】70年、大鵬の自宅で玉乃島とポーズをとる北の富士さん ◇ ◇ ◇ ◆1942年 7人きょうだいの次男として北海道美幌で生まれる ◆48年 小2で留萌に引っ越す ◆55年 留萌巡業で同郷横綱千代の山に声を掛けられて相撲に興味を持つ ◆56年 中3で旭川に引っ越し、力士を目指して千代の山後援会員宅に下宿して増量に努める ◆57年 出羽海部屋に入り、初場所新弟子検査は7キロ足りずに不合格も、自費養成制度により本名の竹沢で初土俵を踏む。春場所検査では合格 ◆59年 夏から本名竹沢と出身地美幌から竹見山に改名 ◆60年 夏の釧路巡業で朝帰りにかわいがりを受け、急性虫垂炎に腹膜炎も併発で50日間入院。秋から北の冨士に改名。九州場所後に師匠の元横綱常ノ花が死去で武蔵川親方(元前頭出羽ノ花)に代わる ◆63年 春に十両昇進。九州では当時史上3人目の十両で15戦全勝優勝 ◆64年 初場所は13勝の新入幕最多勝で敢闘賞となり、春は最短幕内2場所目で新小結、名古屋で新関脇 ◆66年 名古屋で10勝も直前3場所は28勝ながら予想外の大関昇進となる ◆67年 元千代の山の九重親方が1月に独立し、部屋頭として9力士と移籍。高砂一門に移った春は14勝で初優勝を飾った。翌場所から連続負け越しも秋に北の富士に改名してかど番を脱出。ネオン無情をリリース ◆68年 春には名前を勝明から洋行に改名も、夏には本名の勝昭に変えた ◆69年 九州で2度目の優勝に、協会は横綱審議委員会に横綱昇進を諮問も却下される ◆70年 初場所千秋楽に本割で負けた玉の海を優勝決定戦で倒して連覇。場所後に玉の海と同時で52代横綱昇進となる。夏、名古屋と連覇する ◆71年 夏に全勝優勝。2班制の夏巡業は玉の海が虫垂炎で休場に秋田・八郎潟巡業で代役を務め、自らは雲竜型も玉乃島の不知火型で横綱土俵入り。秋は2度目の全勝優勝も10月の巡業中に玉の海が急死。九州で連覇と年3度優勝した ◆72年 初場所に関脇貴ノ花にかばい手で行司差し違えの勝利も途中休場で負け越し。春も貴ノ花と差し違えで今度は勇み足で負け。夏は不眠症で途中休場し、場所後にハワイでサーフィンに厳重注意を受ける。名古屋は右手指脱臼で全休も秋は全勝優勝 ◆73年 春に全勝で10度目の優勝 ◆74年 初場所途中休場。さらに2場所全休後の名古屋で初日から連敗で引退し、井筒部屋として独立 ◆75年 引退相撲で断髪後に白のタキシード姿でネオン無情を歌って喝采を浴びる ◆77年 九重親方死去に伴い、合併の形で部屋を継承 ◆81年 弟弟子だった千代の富士が春場所後に大関、秋場所後に横綱へ昇進する ◆86年 理事に就任して審判部長となる。北勝海が秋場所後に大関昇進 ◆87年 北勝海が春に2度目の優勝で九重部屋10連覇を達成して出羽海部屋と当時最多タイとなる ◆88年 北勝海が名古屋場所後に横綱昇進 ◆89年 名古屋場所で初の同部屋決定戦となり、千代の富士が北勝海を下す ◆91年 夏場所で千代の富士が引退 ◆92年 千代の富士に部屋を譲り、自らは部屋付きの陣幕親方となる ◆93年 北勝海が八角部屋で独立すると移籍 ◆94年 新設の広報部長に就任する ◆98年 高砂一門の理事候補から外れると退職し、春場所からNHK専属解説者となる ◆02年 都内のホテルで還暦横綱土俵入り ◆16年 心臓の手術で九州を全休する ◆21年 NHK放送文化賞を受賞