元ドラ1、幻に終わった広島入団…誘いを「知らなかった」 顧問が“勝手にお断り”
「もうちょっと早めに…僕に選択させてほしかったな」
「カープがドラフトで指名したいと来てくれていたそうなんですけど、顧問の先生は僕に言ってくれなかった。カープのスカウトには『本人は大学に行くみたいですから』ってお断りしたらしいんですよ。確かに、僕は大学に行きたいと言っていましたからね。でもね、もしも、その段階で僕の耳に入っていたら、なびいたかもしれないです」と田尾氏は話す。「大学に行ったら授業料もいるし、おふくろとかも本音はたぶん働いてほしかったと思うんですよ。だから……」。 当時の田尾氏はプロ野球に「興味が全くなかった」という。「小さい頃は長嶋(茂雄)さんのファンでかっこいいなって見ていましたが、どこを応援するとか、そういう意識はなかった。野球は自分がプレーするのが好きだったのでね」。泉尾高校のエース兼3番打者として結果を出していても「プロから誘われるなんて想像もしていなかった。全く頭になかった」。そのため進路にプロを選択肢に入れることもなく、大学進学を希望していた。 「後で聞いて思いましたよ。もうちょっと早めに言ってほしかったな。僕に選択させてほしかったなってね。そういう気持ちにはなりましたね。早く聞いていたら、そのまま広島に入っていたかもしれなかったですからね」。田尾氏は笑みを浮かべながら、そう明かしたが、もしも泉尾高から広島入りしていたら、その先の野球人生はどうなっていただろうか。同志社大学進学とどちらが良かったのだろうか。 これも運命だったのか、幻に終わった広島入団。田尾氏は1975年ドラフト会議で中日から1位指名されて同志社大からプロ入りするが「カープは僕が大学を卒業する時も一番熱心に誘ってくれたんですよ。縁がありそうで、なかったんですよねぇ」としみじみ話した。
山口真司 / Shinji Yamaguchi