「南房総の“王国”に三度挑戦 天国の妻にも届くように」(千葉12区維新新人地引さんの場合)
1.「半世紀以上続く南房総の“王国”」
第50回衆院選千葉12区(木更津市、袖ケ浦市、君津市、富津市、鋸南町、館山市、南房総市、鴨川市)は、10万票を超える得票した浜田靖一元防衛相が11回目の当選を果たしました。 南房総は中選挙区時代、犯罪まがいの選挙運動が横行し、当時を知る人は「金権千葉の象徴のような地域だった」と話します。現在の選挙制度に変わってからは、そんな話は聞きませんが、親子2代にわたる「浜田家」の強固な地盤は、今回も揺るぎませんでした。半世紀以上、有権者の多くが投票用紙に「浜田」と書いてきた、いわば「王国」。その千葉12区で今回、立候補したのが地引直輝さん(45)でした。
2.「北朝鮮で革命をやっているようなもの」
富津市出身・在住の地引さんは、長男(6)を育てながら、東京都内の税理士法人で働いています。地引さんは2012年と2016年の2回、千葉12区内の富津市の市長選挙に出馬しました。いずれも一騎打ちの戦いで、対抗馬は、2012年が3選を目指す当時の市長、2016年が浜田さんの秘書出身の新人(現市長)でした。 選挙結果はいずれも一歩及ばず、落選した地引さんは「浜田さんと戦ったようなものだった」と当時を振り返ります。印象に残っているのは、対抗馬の陣営を支える浜田元防衛相の盤石な地盤と巨大な組織力(業界団体などの支援)。それに比べると、地引さんの選挙は、今回も含め、生まれ育った集落の仲間たちによる「草の根」のようなものでした。 大量の選挙ビラに証紙シールを張る作業が追いつかず、選挙期間中に終わるか不安になることも。「王国」のいわば公認候補でない地引さんには、特定の立候補者討論会への出席を強いられたり、自分の看板を建ててくれた知人宅が詳しく調べられ「圧」がかかったりすることもあったそうです。 地引さんは、「王国」で政治家を目指すのは、「北朝鮮で革命をやっているようなもの。命がけでやっている」と表現しています。
3.「大切な人とゆっくり話せる社会を作りたい」
今回の衆院選は、初めての直接対決になりました。出馬するか迷いましたが、「政治があまりにも遠すぎて、政治離れが一層進んでしまう」との危機感を覚えていました。地盤、看板、鞄(かばん)もない自分のようなサラリーマンだから「より身近で現実的な政治」を実現できると立候補を決意しました。最大の理解者である妻が背中を押してくれました。 地引さんは選挙期間中、街頭演説で、党(日本維新の会)が掲げる教育費無償化のほか、医療や防災などの歳出を見直し「大切な人を守る国家予算」の実現を訴えました。 ただ、大切な人の一人、妻の姿は選挙戦にありませんでした。「ジビちゃんみたいにやりたいことがあるのはすごい。やりたいことがある人を応援したい」と常に支えてくれた妻は2024年6月、闘病の末に肺がんで亡くなりました。妻は、命は有限で、「チャレンジする大切さ」を教えてくれました。 墓前に衆院選の吉報を届けることはできませんでしたが、天国の妻にも届くよう「王国」で声を枯らして訴えました。 「皆さんにとって大切な人はどんな人ですか?私は6歳の息子や83歳の母親、そして、死別した妻。大切な人たちと大切な時間を過ごせていますか。時間や成果に追われず、大切な人とゆっくり話せる社会を作りたい」。
千葉テレビ放送