“役満ボディ”岡田紗佳、日本生まれ中国育ちの少女がグラドル・タレント・Mリーガーになるまで
プロ雀士として知られ、グラビアやTVなどでもマルチに活躍する岡田紗佳。8月2日に発売される5年ぶりの3rd写真集『おかぴのぴ』(小学館)では、“役満ボディ”を惜しげもなく披露。30歳を迎え、さらに艶やかさが増したようだ。勢いに乗る“美しすぎるプロ雀士”を直撃し、波乱に満ちた半生を語ってもらった。(前後編の後編) 【別カット】岡田紗佳、撮りおろしカット&写真集カット ──ここまでのキャリアを振り返っていただけたらと思います。岡田さんはお父さんが日本人、お母さんが中国人のハーフということで、北京語、上海語、英語も堪能だと伺っています。 岡田 生まれ育ったのは日本なんですよ。ただ小学校に入るとき、中国語を勉強するために上海に1人で移住することになったんですね。そこで雀荘を経営する祖母と2人暮らしをしていたんですけど。それで中学のときに日本に戻ってきて、高校のときに『non-no』のモデルを始めたんです。 ──モデルは、どのようなきっかけで? 岡田 もともとモデルに憧れがあったんですよ。それでスカウトされたいから、渋谷の高校を選んだんです。実際、運よくスカウトされましたし。 ──高校は青山学院高等部、さらに大学は青山学院大学。天が二物を与えたということでしょうか。 岡田 それほど大袈裟な話でもないですけど、学業との両立は大変でした。当時、朝の生放送でレギュラーがあって、5時50分に放送開始。それで終わるのが8時。そのまま学校に行って、1限から授業を受けるような生活で。 ──当時はすでに麻雀もバリバリ打っていたんですよね。 岡田 いえ、麻雀を始めたのは大学卒業と同時くらいなんです。 ──ん? 中国人のおばあさんが雀荘を経営していたのでは? 岡田 いや、それが中国の麻雀ってルールが日本と全然違うんですよね。リーチとかドラとないですし。実はあれって日本人が作ったオリジナルのルールなんです。 ──そうなんですか! 岡田 麻雀を始めたのは、『non-no』モデルの間で麻雀ゲームアプリが流行っていたからなんです。モデルって待ち時間が多いから、みんな遊んでいたんです。私も「麻雀やってみない?」って誘われた感じでした。最初は役もわからないし、点数計算もできなかったです。 ──そんな軽い動機で始めたのに、メキメキと頭角を現したというのは、やはりセンスがズバ抜けていたということでしょうか? 岡田 日本プロ麻雀連盟の勉強会に誘っていただき、それに参加できたのが大きかったですね。私、本当に環境に恵まれていたんです。いきなり滝沢(和典)さんから教わるなんて普通ありえないですよ。変な話、仲間内だけで打っていると悪い知識も同時に入ってくるじゃないですか(笑)。