「献眼は人生最後の贈り物」 79歳で死去、角膜移植に尽力の医師がドナーに 長男が執刀
角膜移植に尽力してきた眼科医が、ドナーになった。9月、79歳で死去した広島県呉市の木村亘さん。全国に先駆け、眼球を全摘せず角膜だけを取り出す手法を取り入れ、献眼の普及に力を注いできた。「献眼は人生最後の素晴らしい贈り物」と伝え続けた木村さん。同じ眼科医の道を進む長男格さん(51)の手で、目の不自由な患者に光を届けた。 【写真】眼球の模型を手に、マイクロケラトロンを使った角膜の摘出について説明する木村亘さん(2009年3月) 木村さんは開業医として1984年から角膜移植を手がけ、ドナーからの摘出にも積極的に取り組んできた。当時は眼球を全摘する手法。出血が止まらなかったり、皮下出血などで遺体の顔が変色したり。遺族の精神的なショックは大きかったという。 そんな課題を解決したいと、広島大の医師らと角膜のみを電動角膜切除装置「マイクロケラトロン」で採取する手法を研究。全国に先駆けて実践した。遺体を傷つけず短時間で済む利点を国内外の学会などで広め、今では広島県内は全て角膜のみの採取に変わっている。 ひろしまドナーバンク(広島市南区)の広報委員長として長年、市民向けに献眼の啓発活動を続けたが2021年12月に胃がんが判明。余命3カ月と宣告され、眼科医として病院を継ぐ格さんに「死んだら俺の目はお前が取ってくれ」と託していた。 格さんによると、木村さんは休日も自宅で移植の映像を見て研究を重ねていたという。夜中でも角膜の採取に出向き、献眼の必要性を熱心に説いていた。格さんは、そんな父を追いかけ、角膜移植を専門に学べる大学に進学。眼科医になった。 木村さんの角膜の採取は、家族や親戚約30人が見守る中で行われた。執刀した格さんは、初めてドナーの遺族となった。失明した人の目が見えるようになる喜びとともに「ドナーもその人の体を借りて世の中を見続け、近くにいてくれているんだという感覚になった」と話す。 「日頃語っていた献眼の素晴らしさを、父は身をもって示し、かけがえのない贈り物を残してくれた」と格さん。その志を引き継ぎ、啓発活動にも力を入れるつもりだ。
中国新聞社