体に刻み込まれた戦争<リベリア> 高橋邦典、25年を振り返って
昨年半ばに思うことあって、報道写真の世界から退くことになった。5年近くに渡って続けさせていただいたこの写真エッセイも、今回が最後。25年のキャリアの中、様々な国に足を運び、多くの人々と出会ってきた。最終回は、特に印象に残る経験をいくつか紹介したい。
ムスは、2003年にリベリア内戦を撮影している時に出会った少女だ。砲弾によって右手を切り裂かれ、血だらけになった彼女の姿に動転した僕は、慌てて彼女を病院に運びこんだ。写真を撮る前に人を助けたことなど、初めてだった。 リベリアの内戦は僕にとってカメラマンとしての転機でもあった。 毎日のように、ムスのような子供達が傷つき、殺され、死体が山積みになった。人々はカメラの前で泣き叫び、国際社会に助けを求めた。彼らにとって、僕ら外国人ジャーナリストたちだけが、メッセージを世界に届ける頼みの綱だったのだ。 「こんな許され難い惨状を、アメリカや日本の人々に伝えなくては……」 そんな、現場に立ち会う「報道カメラマンの義務」というものを思い知らされたのだ。
ムスをはじめ、家族を全て殺された子や、無理やり駆り出され兵士として戦った子など、内戦で傷ついた子供達をその後も追い続けてきた。当時6歳だったムスは、もう20歳。今では町に戦争の痕跡は何も残らず、人々の戦いの記憶も薄らいでしまった。それでも、教育の機会を奪われ、少年兵として戦った子供達の多くは、いまだに社会の底辺で喘ぎ続けているし、砲弾で失った家族や、体の一部が戻ることもない。彼らにとって、戦争の残した傷は、決して消えることはないのだ。そして僕の体内にも、リベリアの内戦は生々しく刻み込まれている。 ※この記事は「フォトジャーナル<カメラマン人生25年を振り返って>- 高橋邦典 最終回」の一部を抜粋したものです。