【光る君へ】親の七光りで異例の出世…三浦翔平が演じる危険人物・藤原伊周の見苦しすぎる行く末
苦労せずに出世しすぎたツケが回った
だが、その後はさらに見苦しかった。伊周と隆家の兄弟は出頭を拒否し、中宮定子の御所に立てこもった。このため検非違使に乗り込まれ、隆家は捕らえられたが、伊周は往生際が悪いことに逃亡したのである。 その後、いったんは出家姿で出頭した伊周だったが、太宰府に護送される途中、病気といつわって播磨(兵庫県西部)にとどまった挙げ句、ひそかに上京して、また定子のもとにかくまわれたのである。しかし、最後は見つかって、出家がうそだったことも判明し、太宰府に送られた。 伊周と隆家の兄弟は、配流された翌年である長徳3年(997)の夏には、赦免されて都に帰ることを赦されている。一条天皇が母である詮子の病気平癒を祈って、大規模な恩赦を実行したからだった。 その後の伊周は、寛弘2年(1005)に、内裏への昇殿を許されるまで立場を回復したものの、かつての勢いとはくらべるべくもなかった。むろん、道長の立場を脅かすような地位からは、はるかに遠いところにいた。そして寛弘7年(1010)、失意のうちに37歳でこの世を去った。一方、弟の隆家は66歳まで生きて、長久5年(1044)に没したが、大臣はもちろんのこと、大納言になることもなかった。 父の七光りのもと、自身はなんら苦労することなく異例の出世を遂げ、さまざまな経験を積む前に、他人に要求することばかり覚えた伊周。現実社会は理不尽なことだらけだが、それへの耐性がないようでは、結局、自滅するほかない。これも藤原氏の栄華がもたらした悲劇の一端といえるだろう。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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