【光る君へ】親の七光りで異例の出世…三浦翔平が演じる危険人物・藤原伊周の見苦しすぎる行く末
ドラマでも史実でも危険人物になった
道隆が死んだ時点で、30歳の道長は権大納言だったのに対し、その甥で8歳年下の伊周はすでに内大臣だった。だから、周囲も伊周が政権のトップの座に就くものと思っていたようだ。しかし、ふたを開ければ、詮子に説得された一条天皇は、道長を内覧(天皇に奏上する文書を事前に見る役割で、職務は関白に近い)にする宣旨を下した。 さらに6月19日には、道長は右大臣となり、左大臣が不在のため太政官の最上位に登りつめた。そして、太政官の首班である「一上」として、公卿たちの会議を主宰する立場になった。一方、伊周は内大臣に据え置かれたままだった。未熟なまま分不相応な出世を重ねてきたと思われる伊周は、こうして自分の境遇に不満を抱き、危険な人物となっていく。 その様子が、第18回「岐路」では、次のように描かれた。自分が政権担当者に選ばれなかったため、怒りにまかせて妹である中宮定子(高畑充希)のもとに乗り込んだ伊周は、ほとんど八つ当たりのように、「帝のご寵愛はいつわりであったのだな。年下の帝のお心なぞどのようにもできるという顔をしておきながら、なにもできていないではないか!」「こうなったらもう、中宮様のお役目は皇子を産むだけだ」「皇子を、産め!」と、身勝手な要求をしたのである。 実際にそれに似た場面があったのかどうかは、史料には記載がないのでわからない。それにこの場面は、伊周を演じる三浦翔平のアイデアで加えられたともいう。だが、いかにもありそうな場面だった。というのも、史料で確認できる範囲でも、伊周はこのころから、ドラマでは竜星涼が演じている弟の隆家とともに、非常に危険な人物になっていくからである。
最後まで往生際が悪かった伊周
ドラマで秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』には、伊周と隆家が道長との反目を深め、危険な行動を重ねていく様子が描かれている。7月24日には、公卿の会議の場で伊周が道長と激しい口論におよび、まるで「闘乱」のようだったという。27日には、弟の隆家の従者が道長の従者と、七条大路で弓矢による「合戦」を引き起こした。その報復措置なのだろうか、8月2日には隆家の従者が道長を警護する武官を殺害したという。 こうして一触即発の状況が続いたまま、年が明けて長徳2年(996)になると、さらにとんでもない事態が発生した。正月14日に起きた、「長徳の変」と呼ばれるその事件について、『栄華物語』に書かれているのは次のような内容である。 伊周は故藤原為光の三女のもとに密かに通っており、一方、花山法皇は為光の四女に言い寄っていた。ところが、伊周は花山法皇が、自分の女である三女に手を出していると勘違いした。そこで、弟と一緒に従者を連れて花山天皇を待ち伏せし、弓矢で射掛けて法皇の袖に矢を貫通させてしまった。 『栄花物語』の記述を、そのまま史実とは言い切ることはできない。だが、ほかの史料と突き合わせると、伊周と隆家が故藤原為光の家ですごした際、花山院およびその従者たちと乱闘騒ぎを起こし、法皇の従者2人を殺害してしまったところまでは確認できる。権力の中枢に座れなかった悔しさから危険な行動を重ねるうちに、致命的な事件を起こしてしまったということである。 結局、兄弟には、法皇を襲撃したことに加え、女院詮子を呪詛した嫌疑や、天皇家にしか許されない法を僧に行わせた嫌疑もかけられる。そして、一条天皇は4月24日、内大臣の伊周は太宰権帥、中納言の隆家は出雲権守へと降格のうえ、即刻配流するように命じることになった。