国史跡・福岡城跡、整備基本計画策定から10年たつが復元進まず…主な要因は「史料不足」
しかし、福岡城は廃城後、1876年(明治9年)から終戦まで陸軍が駐屯し、櫓などの建物は解体され、当時の写真はあまり残っていないという。市はこれまでも、戦前に撮影された福岡城の写真を募集したが、十分集まっていない。
武具櫓のように、発掘調査で場所が判明したものの、写真が少なく内部構造がよくわからずに、復元に着手できていない櫓もある。
当初計画では、28年までの整備費用として約70億円を見込んでいたが、この10年間で福岡城跡の史跡整備に投入されたのは約8億3000万円。櫓の復元以外にも、園路の整備や観光案内板の設置なども進められているものの、当初計画の1割程度にとどまる。
計画検討委員会の委員長を務めた九州大の丸山雍成名誉教授は「復元のハードルは高く、史料が集まらなかったために思うように進まなかった」と語る。
集まった寄付1億4000万円
市議会関係者は「文化財事業は観光客の誘致に直結する。計画に基づいて、櫓などの復元を加速させていくべきだ」と話す。
市は整備費用をまかなうため、「福岡みんなの城基金」という寄付を募っており、これまでに約1億4000万円が集まった。潮見櫓の復元工事などに充当されており、市はさらなる寄付を呼びかけている。
市史跡整備活用課の中村啓太郎課長は「遅れているのが現状だが、今後も史料収集や発掘調査などを進めていきたい」としている。
「天守閣」巡り論争
福岡城跡については、存在したかどうかを巡り議論がある天守閣の「復元」が論争になっている。福岡商工会議所は有識者らによる懇談会を設置し、忠実な復元とは異なる「復元的整備」を目指す一方、別の有識者からは慎重論も出ている。
福岡市の整備基本計画は、天守閣について復元が「極めて困難な建造物」に分類している。ただ、福岡商議所の懇談会のメンバーの九州大の丸山名誉教授は「復元が進まない櫓よりも、天守閣の復元的整備を優先するべきだ」と主張する。
一方、別の有識者からは天守台の遺構を傷つけずに耐震性を持った天守閣を整備できるのか、など疑問の声も上がっている。
◆福岡城跡=福岡藩初代藩主・黒田長政と父・如水(官兵衛)が1601年(慶長6年)から7年かけて築城した城の跡。全国有数の規模の平山型の城で東西1キロ・メートル、南北700メートルの広さがある。江戸後期には47以上の櫓があったとされるが、現存するのは天守台近くの「多聞櫓」のみ。1957年に国史跡に指定された。公益財団法人「日本城郭協会」は、日本100名城の一つに選定している。