南海トラフで最大34.4mの津波が襲来する高知県黒潮町、防潮堤ではなく「逃げる」を選択した背景にある思想
■ 町長が松本に伝えた驚きの言葉 松本:すると、大西町長はこう言いました。「思想を作ってほしい」と。「最大震度7、最大津波高34.4m、津波の到達まで最短2分」という現実は、あまりに大きすぎて対策などできません。だから、対策ではなく、防災にまつわる黒潮町の思想を考えてほしいと考えたのです。 ──普通は防潮堤などの対策を考えますよね。 松本:そうではなく思想を作った。実際、町長に頼まれた後、すぐに東日本大震災の被災地を調査し、40日ほどで「第1次 黒潮町南海トラフ地震・津波防災計画の基本的な考え方」を策定しました。そこで強調したのは、避難をあきらめないこと、そして南海トラフ巨大地震と闘わないということです。 砂浜美術館の本質は、単なる自然保護ではなく、人と自然の付き合い方を考えるというところにありました。南海トラフ巨大地震も同じように自然現象。その自然と、日本一うまく付き合うことが黒潮町のあり方だと考えたのです。 歴史を紐解けば、大きな地震は100年から150年に1回は起きています。その中にあって、先人たちはしっかりとふるさとを創ってきました。であれば、私たちも南海トラフ巨大地震とうまく付き合うことができるはずです。 24時間、365日、自然と闘っていれば住民も疲れてしまいますし、子どもたちも町を嫌いになってしますよね。でも、100年のうちの99.999%は海の恵みが豊かな町です。 「基本的な考え方」では、避難をあきらめないために行政や地域、住民が何をすべきかということを町の歴史から入り、より具体的な行動へと落とし込みました。この町が自然の恵みだけでなく、自然の脅威とも向き合ってきたということを伝えたかったからです。 また、この中には「あきらめない。揺れたら逃げる。より早く。より安全なところへ。」という言葉も入れました。 ──まさに、防災についての思想ですね。