小倉智昭さん 愛が詰まった自宅で死去 反発心でかなえた夢 でも奥さんには弱い「昭和の男」
【悼む】今年2月。「小倉さんが腎盂(じんう)がんと診断された」との情報が飛び込んできた。所属事務所に事実確認すると、本人から連絡があり「自宅に来てほしい」と言われた。 【写真】「とくダネ!」2代目アシスタントの中野美奈子アナ 訃報に「寂しいです」 生死に関わる病気の話。「書かないでくれ」と言われれば意思を尊重するつもりだった。ところが、リビングでインタビューに応じた小倉さんは「伝える仕事をしてきた人間だから、聞かれたことは何でも答えるよ」と切り出し、病状や治療についてはぐらかすことなく全て明かした。 取材が終わると自宅内を案内してくれた。とにかく多趣味でこだわりの強い人。芸能人やスポーツ選手の記念品、オーダーメードのミニチュア楽器やドールハウスなど膨大なコレクションが、まるで博物館のようにショーケースの中に陳列されていた。全てそろえているのは、世界で小倉さんとラルフ・ローレン氏しかいないというビンテージカーのミニチュアシリーズもあった。 「親父とおふくろは戦後の混乱期に台湾から引き揚げてきた。小さい頃は貧乏で何も買えなくてね。アナウンサーの仕事を始めてからも10年近く食えなかった。その反動で、欲しい物を手に入れると安心するんです」 苦労を乗り越えて夢をかなえた小倉さん。少年時代、吃音(きつおん)に悩まされ悔しい思いもしたが「しゃべる仕事のアナウンサーになって皆を見返してやる」と努力したという。原動力は反発心。キャスターとしても理不尽な批判には毅然(きぜん)と立ち向かった。 そんな小倉さんも頭が上がらなかったのが、闘病を支えた妻。インタビュー中「かみさんには本当に迷惑をかけてる。感謝してます」と、妻がいるキッチンにまで聞こえるよう話している時のちゃめっ気たっぷりの表情は忘れられない。 責任感が強く、負けず嫌いで、遊び好き…ただ奥さんには弱い。愛すべき「昭和の男」だった小倉さん。仕事も趣味も全力で楽しんだ人生だった。(文化社会部デスク・小枝 功一)