スバル“シンメトリカルAWD”の集大成「レガシィ」の凄さとは? 【歴史に残るクルマと技術057】
「レオーネ」が初めて採用したスバルが誇る“シンメトリカルAWD(水平対向エンジン+4WD)”を完成させた「レガシィ」。ツーリングワゴンは、1990年から2000年代前半にステーションワゴンブーム旋風を巻き起こし、またセダンはWRCに参戦して優勝し、その後WRCを席巻した「インプレッサWRX」の先導役を担ったモデルだ。 TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・レガシィのすべて、レーシングオン、清水和夫、オートスポーツスバルのコア技術であるシンメトリカルAWD誕生 スバル・レガシィ技術の詳しい記事を見る スバルが世界に誇るコア技術のシンメトリカルAWDは、レガシィで完成されたが、初めて採用したのはレガシィの先代にあたる「レオーネ」である。 初めて水平対向エンジンを採用したのは、1965年にデビューしたスバル初の小型乗用車「スバル1000」。ファストバック風の4ドアセダンで、パワートレインは注目の1.0L 水平対向4気筒OHVエンジンと4MTの組み合わせで、駆動方式はまだFFだった。 そして4WDを初めて採用したのは、1971年に登場したスバル1000の後継車「レオーネ」である。当初は、1.4L水平対応エンジンとFFの組み合わせだったが、1972年に商用車「レオーネ4WDエステートバン」で世界初のジープタイプでない量産4WDを搭載。続いて1975年には、世界初となる量産4WDセダンが登場した。この段階で、シンメトリカルAWDの原型が誕生したのだ。 シンメトリカルAWDをSUBARUブランドに成長させたレガシィ バブル好景気でほとんどのメーカーが絶好調のなか、スバルは業績が振るわなかった。その打開策として登場したのが、レオーネの後継のレガシィである。 スバルは、1989年2月1日の発売を控えた約2週間前に、「レガシィRS」で米国アリゾナ州フェリックスでの10万km耐久走行に挑戦。トライアルは19日間かけて行われ、当時の世界記録である平均速度223.345km/hの偉業を達成した。 世界記録達成で自信を持って市場に放たれたレガシィは、4ドアセダンと5ドアツーリングワゴンの2タイプ。注目の水平対向エンジンは、最高出力110psの1.8L SOHC(EJ18型)と150psの2.0L DOHC(EJ20型)、世界記録を樹立した最高出力220psを誇る最強グレード、RS用ターボエンジンの3機種を設定。トランスミッションは、5速MTで駆動方式はアクティブスプリット4WD。これにより、現在に続くシンメトリカルAWDが完成した。 水平対向エンジンとフルタイム4WDを組み合わせたシンメトリカルAWDは、低重心の水平対向エンジンを縦置きに搭載できるので、パワートレインが一直線、左右対称に配置できる。これが、シンメトリカルAWDを特徴づける最大のメリットだ。4輪にバランスよく荷重がかかるので、優れた悪路走行と高速安定性が可能。さらにエンジンが縦置きなので重いトランスミッションが車体重心近くに配置されることで、軽快なハンドリング性能が実現されるのだ。 ステーションワゴン旋風を巻き起こしたツーリングワゴン レガシィは、当時のRVブームの後押しもあって、特にツーリングワゴンの人気が高まり、同年10月に2Lターボを搭載した200psの「ツーリングワゴンGT」が追加されると、その人気はピークに達した。 レガシィ・ツーリングワゴンの人気に刺激を受けて、他メーカーからステーションワゴンが相次いで市場に投入された。日産自動車「ステージア」、トヨタ「カルディナ」、「カローラフィールダー」、ホンダ「アコードワゴン」、「アヴァンシア」、三菱自動車「レグナム」、マツダ「アテンザスポーツワゴン」などである。 ただし、シンメトリカルAWDの魅力が走り好きの心をガッチリつかみ、レガシィの牙城を崩すワゴンは現れなかった。ツーリングワゴンの大ヒットによって、低迷していたスバルの業績は急速に回復し、バブル崩壊で苦しむ他メーカーと立場が逆転したのだ。 WRCで優勝を飾った高性能セダンRS 米国の10万km耐久走行で世界記録を樹立したレガシィRSの次なる挑戦は、世界の檜舞台であるWRC(世界ラリー選手権)だった。 1990年にWRCに本格参戦を開始し、デビュー戦のサファリでは総合6位となった。この年、スバルは5つのレースに参戦して、最高順位は1000湖ラリーの4位にとどまった。当時は、ランチア「デルタ インテグラーレ」とトヨタ「セリカGT-FOUR」が競り合っているなかで、レガシィはまだ十分な戦闘力が整っていなかった。 モータースポーツで活躍することは、メーカーの技術力を誇示することになり販売促進に直結するので、低迷していたスバルはで全力で改良を重ね、1993年のニュージーランドラリーでついに念願の初優勝を飾った。 スバルのWRCの栄光は、次期車「インプレッサWRX」で花開き、1995年から3年間マニュファクチャラーズタイトルを獲得するという、日本初の偉業を成し遂げて走りのSUBARUブランドを確立した。レガシィは、その先導役を果たしたのだ。 レガシィが誕生した1989年は、どんな年 1989年は、バブル全盛期ということもあり、レガシィ以外にも多くの注目されたクルマが登場した。トヨタの「セルシオ」やマツダの「ユーノスロードスター(NA型)」、日産自動車の3代目「スカイラインGT-R(R32型)」などである。 セルシオは、米国で立ち上げた高級車ブランド“レクサス”の設立に合わせて発売された「レクサスLS400」を日本仕様にして発売した高級セダン、ユーノスロードスター(NA型)は手頃な価格で軽快な走りが楽しめるライトウェイトスポーツとして世界中で現在も変わらぬ人気を誇る2シーターのオープンスポーツ。16年ぶりに復活したスカイラインGT-R(BNR32)は、2.6L直6ツインターボエンジン(RB26DETT)を搭載し、ATTESA E-TS(電子制御式トルクスプリット4WD)とHICAS(4輪操舵機構)を装備したハイテクマシンである。 自動車以外では、昭和天皇が崩御、消費税(3%)がスタート、中国で天安門事件が勃発し、ベルリンの壁が崩壊した。「魔女の宅急便」と「バットマン」が放映され、任天堂「ゲームボーイ」が発売された。 また、ガソリン134円/L、ビール大瓶318円、コーヒー一杯336円、ラーメン436円、カレー580円、アンパン98円の時代だった。 ・・・・・・ ステーションワゴン旋風を巻き起こし、WRCで優勝する偉業を成し遂げたスバルの「レジェンド」。世界中にシンメトリカルAWDの優れた性能をアピールした、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。
竹村 純