<高校野球>元プロ異色経歴監督。広島カープ魂で甲子園に旋風を!
広島から宮崎に居を移して、いざ着任してみると、その荒れた部室に驚いた。ソフトバンクの武田翔太、横浜DeNAの下園辰哉が卒業生にいる伝統校だが、あと一歩で甲子園から遠ざかっていた。「まずは、生活態度から」と、榊原監督は部室の掃除から始めた。 元プロ経験者だからと言って難しい技術指導をするわけではない。徹底したのは、投げる、打つ、走るの基本。キャッチボールに時間をかけ、朝は10キロのランニング。グラウンド内を走らせると、小さく回ってズルをする選手が目につき、距離をごまかせないように外周を走らせた。バットスイングは、一日1000回がノルマ。「私が監督になってから、数えてみると一人で20万回を振った選手がいます」。練習メニューは、投手、野手に分けて、すべて榊原監督が作ってプリントして選手に配る。これはプロ野球の手法。広島の2軍コーチ時代、メニューの作成は榊原監督の役割だった。 「子供たちに教えていることは、すべて広島時代に三村さんに僕が教えてもらったことです。まず守り、そして走塁。あきらめず、妥協しないこと。苦しいことですけどね。練習メニューも三村さんに教えられたことが元になっています。メニューを配ることで、子供たちがそれを見て、その狙いを考え、次はどう、次は何と、先を読み、考えることを意識させたかったんです」 監督としての源流は、広島時代の恩師から伝授された三村イズムである。 チームには、プロも注目している右腕エース、杉尾剛史と、三拍子揃った前田禎史外野手がいるが、そういう主軸も、謙虚さが見えないと容赦なくメンバーから外した。プロでの補欠街道をずっと歩いてきた榊原監督には、チームが一丸になるためには何が必要かをよくわかっていた。プロ、クビ、焼肉屋経営、借金、サラリーマン……と、激しい人生を送ってきた榊原監督だからこそ教えることのできる「人としての生き方」がある。 宮崎県大会では、1点差ゲームを2試合競り勝ち、決勝では打線が爆発した。5試合42イニングで失策はわずか3。二遊間を含めた堅い守備力が、チームの土台にある。また榊原監督の元プロ経験者らしい采配も光った。エースの杉尾剛史の疲れと、ゲーム展開、相手バッターとの相性などを睨みながら、ワンポイントでもう一人の右腕、黒木隆司を投入。その間、杉尾は一塁に置いておき、黒木が中継ぎに成功すれば、また杉尾をマウンドに戻すというマジック継投で、県大会は、二度、三度とピンチを切り抜けてきた。 「これも亡くなった三村さんがよくやられていた戦術でした」 ユニホームもチームをゼロから立て直す意味で、これまでの紺が基調なものから、自らの野球の原点になる広島カープをイメージする赤に変えた。OBや関係者からは非難ごうごうだったが、意思を貫いた。 「プロ時代にどんな苦労をしたかという話も子供たちにもしています。甲子園から宮崎への帰りには、バスで広島によって三村さんの墓前に報告しようと思っています」 恩師と仰ぐ、故・三村さんへの墓前報告を胸に秘めた。 3日に甲子園見学を行った際には、イースタンのゲームで勝手を知る甲子園の風の特徴やクッションボールの処理の仕方などを細かく選手に指示した。組み合わせ抽選の結果、異色の経歴を持つ元プロ監督の甲子園初陣は、大会第1日(6日)に長野の上田西と対戦することになった。2年ぶり出場で、6試合で50得点、チーム打率.356の強力打線に加え、出場校中、最多タイとなる28盗塁を記録するなど機動力もあり、県大会では準決勝の松商学園戦、決勝の佐久長聖戦と、いずれも1点差ゲームを手にしてきた油断ならぬゲーム巧者だ。 「ひとつづつ普段着の野球をやるだけです」 榊原監督は、プロ時代に培ったカープ魂で甲子園に旋風を巻き起こす決意だ。 (文責・駒沢悟/スポーツライター)