「留学は海外のテニスを経験する手段だが、なんとなくで来る場所ではない」。2度の海外テニス留学を経験した金田諒大のリアルな留学事情【テニス】
簡単に選びがちな海外へのテニス留学だが「目的が明確でないかぎりなんとなくで来る場所ではない」
世界ランク4位を記録したことのある錦織圭(ユニクロ)や同じく世界ランク位を記録した西岡良仁(ミキハウス)らはジュニアの頃に渡米し、世界へ羽ばたいていった。その姿が広まり、彼らのあとに続こうと今でも多くのジュニアが海外のテニスアカデミーへの留学を考える。だが、誰しもが海外へのテニス留学が合うわけではない。14歳で名門・IMGテニスアカデミー、そして18歳から現在までセント・ジョーンズ大学と、2度にわたりアメリカへ渡った金田諒大選手にテニス留学をする上での心構えや、日本のテニスとの違いなどについて聞いた。 【画像】2度目のアメリカ留学を決断した金田諒大がセント・ジョーンズ大学でプレーする様子 ――まずは金田選手がテニスを始めたきっかけを教えてください。 「始めたきっかけは親がやっていてテニスコートに連れられて、そのうちに自分も楽しんでいました。親は真剣にやっているとかではなく、楽しむためにという感じです。そのあとは、テニスクラブに年長ぐらいから通い出して、その頃には『ちょっと試合にも出てみたいな』と思っていたかもしれません。試合に初めて出たのは小学1、2年生ぐらい。他のスポーツもやっていましたが、その中でもテニスを真剣にやっていたというか、土日も朝早くからコートで練習していましたね」 ――その後、試合で結果が出て頭角を現すようになったと。 「最初は広島で、同い年でプロの磯村志(やすいそ庭球部)が幼馴染。小さい時期からライバルでした。小学4年生になる時に引っ越して福岡のテニスクラブに入り、そこで本当に強くなるためのプログラムがあり、真剣にやり始めたのはそこからです。その時に親が『強いテニスクラブあるぞ!』っていうのでここに行こうかっていうのになりました」 ――12歳以下では全日本ジュニアでも優勝していますね。 「それからしばらくして『盛田正明テニスファンド』でIMGテニスアカデミー(アメリカ・フロリダ州にあるテニスアカデミー)に行くことになったんです。中学2年の夏からでしたね。在籍中は本当に苦しんだというか、正直あんまりいい思い出もないぐらい試合に勝った覚えがないんです」 ――それまでのテニスとのギャップみたいなものがあったのでしょうか。 「はい、ITFの大会も13歳からスタートしました。でもIMGに行ってから出させてもらったんですけど、ITFポイントが1年間まるで取れなくてほぼ1、2回戦負け。それが本当に人生で1番苦しい時期でした」 ――海外でも勝てると思ったらそうではなかった、振り返ってみてその原因を教えてください。 「甘かったというか、やっぱりナメていたのもあったし、自分ならいけるだろうみたいなというのがあったと思います。日本での練習の厳しさから逃れたいという気持ちも、正直あったかもしれません。本当は、『アメリカに行こう!ちゃんとここから頑張るぞ!』という思いで行くところです。(支援してもらう選手待遇での)スタート時点でのマインドセットが違っていたんだと今になっては思います」 ――勝ちに繋がらない、しかし練習はしている。分析できる今だったらもうちょっとこうしたら結果変わったかもしれないなっていうのはありますか? 「まだ僕が海外に行くにはちょっと早かったと思うんですよね。身体はもちろんですが、心も成長していない。どこに行っても自分が一番小さかったし、相手にはパワーもある。その当時は考える力がなかったというか、自分がこうしたい!というのがまったくなかったと思います」 ――そこから高校テニスの強豪校・相生学院に入学することになります。 「1年ちょっと海外にいて、高校に入るタイミングで日本に帰りました。うまくいかない時期を過ごし帰ってきていますが、それでも自信をなくしていたわけではないし、舞台がちょっと変わっただけでいつもやることは変わらないと言い聞かせていました。練習はしっかりしていたので自信はあったし、自分の中で結果を出すことにすぐ切り替えて、高校3年間でどう結果を出すかにうまくシフトしました。(16歳以下の)MUFG全国ジュニア優勝もありましたし、ある程度の結果を出すことができたと思います。アメリカに行って結果を出せなかったことは、(日本で)そんなに影響しなかったのかなと思います」 ――一度アメリカで挫折を経験しながら、日本で結果を残した。高校卒業後になぜ再びアメリカの大学を選んだのでしょうか。 「一つは、先ほどお話ししたように中学時代に盛田ファンドのサポートでテニスに打ち込んでいましたが、まったく結果を残せませんでした。この時の悔しさを忘れることができず、2度目の挑戦としてアメリカの大学を目指すことを決めました。もう一つは、希望していた日本の大学に進学できなかったタイミングで、過去の苦い経験から逃げずに『自分はアメリカに行くべき』だと思ったからです」 ――そのアメリカの大学に進学し苦しかったこと、得たことなどはありますか。 「苦しかったことは英語が喋れなかったことです。一年目で何もわからず、言いたいことが言えない、チームメイトとコミュニケーションが取れない、授業で何をやっているのかすらもわからない。この経験が1番苦しかったですね。でも、これがあったからこそ、英語でコミュニケーションを取れるようになりたいと強く思うきっかけになりましたし、今では特に問題もなく会話ができています。一年目を思い出すとよく頑張ったなあと思いますよ(笑)」 「留学で得たことは生まれ育った地域とは違う国で生き抜く力だと僕は思います。アメリカで生きていくには、言語、文化、人、衣食住などに順応しなければならないことがたくさんあります。その中で生きていくのは簡単じゃない。自分の居場所、心地良さを感じることが少ない気がします。約3年ニューヨークで生活してきましたが、まだまだ学ぶことばかりです」 ――今まさにこの瞬間、テニス留学を考えている人もいるかもしれません。アメリカの大学の特徴を、金田選手の視点で教えてください。 「アメリカの大学は、なんといっても学業が第一優先です。スチューデントアスリートであっても、学業が疎かになればスポーツをすることは許されません。また、いろんな国から人が集まっているので、いろんな人がいるところは面白いなと思います」 「私が海外に視線を向け始めたのは高校3年生の10月頃。それまでは日本の大学に行くための準備をしていました。先ほども触れましたが、進学できなかったことでアメリカの大学に進路を変更しました。それから最終的にセント・ジョーンズ大学とサインに至るまでの半年間は、英語の勉強を頑張っていました。詰め込むような勉強だったので、アメリカに来てからは苦しみました。使える英語を日本で学んでから渡米したほうが、余裕が生まれるかもしれません」 ――お話できる範囲で条件面(奨学金など)など経緯を教えてください。 「候補の大学はいろいろありましたが、最終的な段階までいったのはセント・ジョーンズ大学ともう一つありました。レベル的には同等でしたが、都市部から外れている大学より都会の方がいいかと大学のある場所で選びました。条件は、学校によってその学費がまったく違うので一概には言えないですね。学費に対して50%と70%の奨学金があったとしても、もちろん70%の学費が高ければ、払う額の学費も大きくなりますから。僕は寮に入っておらず自己負担。1年目からアパートを借りてチームメイトとシェアしています」 ――IMGアカデミーでアメリカでの生活を経験しているとはいえ、入学当時を振り返ってもらえますか。 「それこそ1年目は何もできなかったです。英語も中途半端のまま来たし、学校にもついていけずに、外へ出たくなくなった時期があった。言葉は通じないし、全部苦しいみたいな。1つうまくいかないことがあると、他のことにまで影響していました。それがテニスにも影響していたかもしれません。1年目は試合にあまり出られず、チームの選抜メンバーじゃなかったですしね。1月から大学の試合のシーズンが始まるんですけど、それまで試合にまったく出なかったんです。コロナの規制が終わる頃のタイミングでもあり、必要最低限のこと以外は外出することなく部屋に籠っている時期もありました。今思えば一年目は待つ時間、慣れるまでの期間であり、学びの時期だったという認識に変わっています」 ――そんなことがあったとは思えないぐらい、今はコミュニケーションを積極的に取っていましたね。そこから抜け出すきっかけは何だったのでしょうか。 「一年目のアパートは、先輩ばかりでその方々が卒業し、テニス部の同期と住むようになってからコミュニケーションが増えていきました。彼らから『何閉じこもってんだ、リョータ』って感じになって、そこから急に喋れるようになりました。みんながかわいがってくれたりしてくれたおかげで今は楽しいですね」 ――大学の練習時間など教えてください。 「練習時間は日本と比べても圧倒的に少ないです。高校時代は1日5時間以上練習していましたが、現在は1日2時間で週末はオフ。やりたければ自分でやってねという状況です。全体練習の時間制限などの規則みたいなルールがNCAAで決められていて、学業に専念できる環境も踏まえ各大学がフェアになるという意図もあると思います。学校の成績を出してないと練習できないし、試合にも出させてもらえない。優先順位は厳しくて、『学業をちゃんとしてテニスをやりましょうね』というのが根底にあります」 ――現在はセント・ジョーンズ大学のシングルス5番手をやっていると伺いましたが、入学前の予想と違ったのでしょうか。 「最初は試合にも出られると思っていて、まさか出られないなんて思ってなかった。理想と現実のギャップというか自分と思い描いていたイメージと実際来てみてのギャップもあって苦しんだこともありました。でも、実際レベルは高いなと思いましたね。アメリカの大学の試合では、ルールとしてノーレット(サーブがネットに当たりレットとなってもプレーが続く)があるのは圧倒的に違うこと。大事なところを取り切る人はやっぱ強いです。スタイルが決まっている人は、そういう勝負どころで強いと言うか、自分があるとやっぱりブレないんです」 ――日本人も技術的なものも優れていて、メンタルが強い人もいると思います。外国人との差を引き算していくと「パワー」が残るのかと思うのですが、その点についてはボールが重くて攻めきれないなどはありますか? 「確かに日本人も技術力は高く、メンタル面でも強い人はいると思います。ですが、こちらで言うメンタルとは少し違う気がします。気持ちの強さや試合中にどれだけ自己中心的になれるかとか。平気でイモったり(ボールが入っているのにアウトと言う)とかする。日本でそういう選手はあんまり見ないですし、それをやっていたら目立ちます。こっち(アメリカ)はそれが普通。そこからイモり合いになるなんてこともあって嫌になるんです。でも、そこでキレずに自分のテニスを貫くメンタルの強さがあると思います。そこを超えたところにまた違うレベルがあるのだと思います」 ――金田選手はこれまでたくさんの経験の中で「ジュニアがプロを目指すこと」についてご自身が小学生の頃、思い描いていたことと10年が経った今、目指していく子に何か伝えられることがあればお願いします。 「散々辛いことも味わってきましたけど、僕はやっぱりどこかのタイミングで海外を経験するっていうのは大事だと思います。海外に住むとかじゃなくても試合にたくさん出てみるとか、いろんな国に行ってみる(海外のクラブなどで練習など)こともひとつだと思います。日本でプロになることももちろんできると思いますけど、いろんなテニスを見て、吸収すると視野が広がる気がします。自分も今までとは違いますし、技術的な部分だけでなく、どういう気持ちで試合に入っているのかなどのマインドも含めてです。僕はビビりで、なるべく喧嘩にならないようにとか守っていましたけど、こっちに来たらそんなことではやっていけません。もちろん自分からやりはしないですけど(意図的なミスジャッジを)やられたらやり返すとか、そういうメンタルの持ち方ができてきました。(持って生まれた)身体はどうにもできませんが、そこは努力でカバーできるところです」 ――金田選手のテニスの今後の展望などを聞かせてください。 「サーブとフォアをドカーン!と打ってというテニスに憧れますけど、今は自分のできることに専念しています。自分のプレースタイル的には走って!走って!球を拾っていくというディフェンスが主体で、攻めに転じるという展開です。こういうプレーを嫌がってくれて、アメリカだからこそ生きる自分のスタイルだなっていうのは感じています。パワーがなければいけない、打ち合わなければならないと思わなくなりましたね」 ――今でこそ楽しく、アメリカにも馴染んできた金田選手ですが、留学に向かないことやデメリットの部分もあるという点などお話をお願いします。 「どちらかというと自分は海外での生活に合っていないタイプの人間だと思います。新しい地で生きていくには社交性もいるし、人と関わる力が必要なので、そういう人は向いていると思いますね。留学は海外を経験する一つの手段ではありますが、目的が明確でないかぎりなんとなくで来る場所ではない。自分の生まれ育った文化とは違うところで生き抜く力、言語、食、人とかも違う。テニスだけじゃなくて人として成長できます」 ――テニス部の活動を終えた海外の留学生は大学卒業後にプロとしてツアーで活動できる選手は少ないと思います。アメリカでスポンサーとなる会社があってサポートをしてくれればビザの延長が可能となりますが、必死な学生を見ていると、卒業後のことも自分でマネージメントする覚悟が在学中から求められるように思います。 「確かにそうですね、自分の場合は日本に戻るという前提で活動をしています。こちらでも友達はできましたが、やはり日本の友人との違いもありますし、留学は僕に向いていなかったのですが、(過去のIMGアカデミーでの活動で)やり残した想いのままでは成長できないと感じていたから続けられています。残り1年、自分のできることをやりきって卒業したいですね」 ――貴重な体験をお話いただきありがとうございました。
知花泰三
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