アマゾン潜入記者が原点の「米国ジャーナリズム留学」と「異人種間カップル取材」を語る
ユニクロやアマゾンの暗部に切り込んだことで知られるジャーナリストの横田増生が潜入取材に身を投じたきっかけのひとつに、米大学へのジャーナリズム留学があった。自身の取材技法をまとめた新著『潜入取材、全手法』から、転機となったニュージャーナリズムとの出会いや異人種間カップルへの調査報道の経験を抜粋で紹介する。 【画像】アマゾン潜入記者が原点の「米国ジャーナリズム留学」と「異人種間カップル取材」を語る
潜入取材に近いニュージャーナリズム
【米国留学の経緯】学生時代に日本で新聞記者を志すも大手紙に就職できなかった筆者は、米アイオワ大学でジャーナリズムを学ぶために渡米。まずは米通信社AP通信の元記者だった教授のもと、最も重要なことを先に書くニュース記事の構成「APスタイル」や、客観報道の成り立ちを学ぶ。 次の学期では、ニュージャーナリズムについて学んだ。 ジャーナリズムに小説の技巧や私という一人称の視点を取り入れて、より読みやすい記述を目指すという手法。この本のテーマである潜入取材は、APスタイルより、このニュージャーナリズムに近い。 授業では、ニュージャーナリズムの旗手であるジョン・マクフィーやトム・ウルフ、ならず者ジャーナリズムを生み出したハンター・トンプソンなどの著書を読みながら、どうすればその手法を自分のものとして取り入れることができるのかを学んだ。 60年代にニュージャーナリズムが台頭してきたのは、従来のAPスタイルが掲げる客観報道に対する反動だった。 60年代のキーワードは反体制。従来の価値観に異議を申し立て、伝統や因習から解放されて自由になろうとする空気が充満していた。反ベトナム戦争から人種差別撤廃、ウーマンリブまで、旧体制に反対することが主流だった時代に、ジャーナリズムの世界でもニュージャーナリズムが芽を出してきた。 その根底には、客観報道なんてあり得るのか、という疑問がある。 客観報道は重要なことから先に書けというが、何が重要かを判断する点ですでに主観が入っているのではないか、という本質を突いた疑問があった。 無味乾燥な客観報道を掲げるジャーナリズムに、小説の手法を組み合わせることによって、もっと読者に受け入れられやすい読み物になるのではないか、と多くの書き手が創意工夫した。書き手が「私」として物語に登場する方が、読者が親近感を抱くのではないか、とも考えられた。 自分自身もバイクにまたがり、「バイクに乗った暴力団」と恐れられたヘルズエンジェルズを取材したハンター・トンプソンには、客観報道という視点は微塵もない。麻薬の密売、殺人、強姦などなんでもありの凶悪集団に交じって、時にはヘルズエンジェルズが起こした犯罪を「冤罪だ」と訴える。 取材者であるのか、当事者であるのかは紙一重。これは本当にジャーナリズムなのだろうか、という疑問もわくが、それを吹き飛ばすだけの行動力と筆力がある。 小説の分野からニュージャーナリズムに参戦したのがトルーマン・カポーティだ。カンザスの田舎町で実際に起きた殺人事件の顚末と真犯人について書いた『冷血』(新潮文庫)は、ジャーナリズム学部の必読書に挙げられていた。 『冷血』が書かれる舞台裏を描いた伝記映画「カポーティ」が2005年に公開されると、私は繰り返し映画を観た。映画には、担当刑事や容疑者への取材手法や執筆の労苦、編集者との関係などが詳細に描かれている。久しぶりに学生時代に戻った気分で、カポーティの手法を取り入れようと画面に目を凝らした。 ノンフィクションから小説に近づいて行ったのがジョン・マクフィー。彼が書いた『ジョージアでの旅』という短編ノンフィクションでは、キャロルという名前のエコロジストとともに、高速道路を車で移動し、〈D.O.R〉を探す。〈Dead on the road〉の頭文字で、路上で轢死した動物を意味する。 イタチやガラガラヘビ、ツグミといった生き物の死体を収集して、持ち帰って食べるという一風変わったノンフィクション。アメリカの高速道路には、動物の死体が転がっていることは誰もが知っている。しかし、それを素材にしてこんなに生き生きと描くことができるんだ、と驚いた。