「最狂になるしかなかった……」ゆりやんレトリィバァ×長与千種、吉田豪に語った伝説の女子プロ団体の裏側とは!?
「撮影が始まったらすべてが杞憂とわかった」
――でも思った以上にダンプ松本さんになりきってましたね。正直、驚きました。 ゆりやん:うれしいです。まずプロレスの何から何まで、すべて長与さんとマーベラス(編集部注:長与が2014年に設立したプロレス団体)のみなさんに毎日教えていただいたんですよ。 長与:ホント杞憂だった。プロレスを題材にする映画やドラマってだいたい半分は代役さんがやるもんだったから、ホントにできるかなっていうのはあったんですけど。彼女たちが受身の練習を始めて、人を殴って……。 それって人生で初めてだと思うんですよね。殴られるっていうのも初めてで。でもスタートした瞬間から徐々に顔つきが変わっていった。 ――ちゃんと予算も期間があるから、たっぷりと受身の練習できるのは大きいですよね。 長与:よく通ってましたね。だってホントにバスで来るんですよ? もう街の人たちがみんな「ゆりやんや!」って名指しするくらいの存在なのに。 ゆりやん:ハハハハハ! 毎日のように道場に行って、部活みたいに毎日電車とバスに乗って教えてもらって楽しかったです(笑)。ホントに練習生のような気持ちで毎日行ってました。 私もダンプさんの本を読んで映像を見て、いろんな資料を見せてもらったんです。でも、それだけでは及ばない気持ちの面とか、状況をまさにその場にいた本人たちにお聞きできた。それがホントにありがたくて。
全女はモンスターファクトリーだった
――いかに当時、2人が異常な状況のなかで闘っていたのかを説明するわけですよね。 長与:うん、ホントに異常だったと思う。全日本女子プロレスはモンスターファクトリー。ホントに”怪物”を作り出すのが上手だった。 ――人としての感情を捨てさせるというか。 長与:そう、人としての感情を。そして、今回はゆりやんがホントにダンプ松本になっていた。演じたんじゃないよ、ホントにダンプ松本だった。で、剛力彩芽はホントにライオネス飛鳥だった。 ――ぜんぜん顔は似てないはずなのに、見ているとそんな気がしてくるんですよね。 長与:そうなんですよ。で、唐田えりかは長与千種だった。それをそこまで持っていくのはめちゃくちゃ大変だったと思うけど。 でも一番大変だったのは人を殴らなきゃいけないときだと思う。だって竹刀でも自分の腕でもそうだけど、人を殴るって加減がわからない。多少でも伝わる殴り方をしないと相手も反応しないじゃないですか。 ゆりやんは繊細な人なので、実はそこが一番大変だったと思う。 ゆりやん:フフフフ(笑)。最初はどのようにしたらいいのかなっていう思いとか、難しいとか、自分のなかの葛藤とか、やってるつもりでもぜんぜんできてないとか、そういうことがいっぱいあったんですけど、いつも長与さんが近くにいてくれて、「ゆりやんこうだよ」「こうやってみよう」「大丈夫!」とかいろんな声をかけていただいて。 ダンプさんご自身が来てくださったときも、「遠慮してちゃダメだよ、怖くやらないといけないからね」って教えてくださって。そのおかげで撮影が進むごとに暴れるのが気持ちよくてなって。言われてないのに机の上のもの全部なぎ倒してみたり。 ――アドリブも入るようになって(笑)。 ゆりやん:気持ちよくて楽しくて。これをダンプさんは当時、日本じゅうから「帰れ!」とか「死ね!」とか言われながらやってはったんだ!ってホント尊敬します。 長与:最初にメイク姿みたときも「うわ、ダンプ松本ここにいるじゃん!」と思ったもん。 ゆりやん:それ長与さんとかご本人に言っていただけるのがめちゃめちゃうれしいです。 長与:いやホントに! いまさらダンプ松本を持ち上げる必要もないんだけど、まさかドラマでここまでやった演者たち……女優を超えてると思ってるし、もうただの女優では収まらないので。よくウチの選手たちに「あの目、盗んで」って言ってました。悔しかったぐらい。それは喜びでもあったね。 取材・文/吉田豪 撮影/尾藤能暢 ※週刊SPA!2024年9月17日・24日合併号「インタビュー連載『エッジな人々』」より ―[インタビュー連載『エッジな人々』]― 【吉田豪】 1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。主な著書に『男気万字固め』(幻冬舎)、『人間コク宝』シリーズ(コアマガジン)、『サブカル・スーパースター鬱伝』(徳間書店)、『書評の星座』(ホーム社)など
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