ベイエリアのラッパーRamirezが語る 南部ヒップホップと地元シーン、来日の抱負
2010年代のヒップホップシーンでは、スリー・6・マフィアなどのメンフィスラップや、DJスクリューのチョップド&スクリュードといった1990年代の南部のスタイルに大きな注目が集まった。その影響を感じさせるラッパーは南部だけではなく全米から登場したが、その中で一際特異な存在感を放っていたのがベイエリアのラミレス(Ramirez)だ。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 ラミレスは2010年代前半から精力的に作品を発表して頭角を現していった。高めの声質から繰り出す切れ味鋭い高速ラップや、メンフィスのヒップホップからの影響を強く感じさせるダークなサウンドは、まさに2010年代に大きく盛り上がった1990年代南部ヒップホップリバイバルの流れを汲んだものだ。ニューオーリンズのラップデュオのスーサイドボーイズやマイアミのラッパーのポーヤなど、同時代に登場したそのスタイルの継承者たちとも盛んに共演。特にスーサイドボーイズとは共にレーベルのG*59で活動し、共にシーンの熱気を高めた盟友だ。スーサイドボーイズが後にオリジネイターの一人であるスリー・6・マフィアのジューシー・Jとも共演したことからも伺えるように、ラミレスとその仲間たちは間違いなくこのムーブメントの中心的な存在だった。 しかし、その一方でサンフランシスコ出身のメキシコ系ラッパーであるラミレスは、メンフィスやテキサスのダークなエッセンスを備えつつも、地元であるベイエリアのサウンドも好んで取り入れていた。プロデューサーでシンガーのロッチとのタッグで2020年にリリースしたアルバム『THE PLAYA$ MANUAL』に顕著だが、それ以前からもメロウでレイドバックしたスタイルをたびたび導入。全米で南部ヒップホップフォロワーが増加する中、その流れを汲みつつも地元への愛を常に示し続けていた。 そんなラミレスがこの7月に来日し、26日(金)から28日(日)の三日間にかけてツアーを行う。そこで今回は来日ツアー直前にメールインタビューが実現。影響を受けた南部ヒップホップや地元シーンの話題を中心に話を聞いた。 * ―「Passion of the Weiss」のインタビューでアンドレ・ニッカティーナについて話していたのを読みました。彼からインスパイアされたことは何かありますか? そうだな~、アンドレ・ニッカティーナの影響でラップを始めたわけではないんだけど、サウンドが本当に好きだったね。ラップを始めたのは、ラップという芸術形式に恋をしたからかな。リリックは高校で書いていて、当時音楽を作っていた友達がいて彼からレコーディングの方法やラップの基礎を教わったよ。 アンドレ・ニッカティーナからインスピレーションを受けたのは、彼の他とは違うサウンドだね。彼はラップに中世の奇妙な音楽を多用していて、そこに本当に引き寄せられたんだ。彼もサンフランシスコ出身で、俺もサンフランシスコ出身というのもあって音楽を作る上で本当に大きく影響を受けたよ。 ―特に研究したラッパーは誰かいましたか? ラッパーを研究したとは言えないけど、影響を受けたラッパーは、 エイトボール&MJG、スリー・6・マフィアとかだね。沢山の影響を受けた。 UGK、リル・キキ、スウィシャ・ハウス辺りのテキサスのラッパー。沢山の南部ミュージックのスタイルに影響を受けたね。 もちろん、生まれ故郷のサンフランシスコで育った音楽からも。RBL・ボッセ、セルスキー、トゥー・ショート、マック・ドレー……言い出したらキリがないくらいだよ。 ―あなたの音楽にはベイエリアの要素ももちろんありますが、メンフィスやテキサスの要素もあります。ラッパーとして活動を始めたばかりの頃はベイエリアと南部、どちらに近い音楽性を目指していたのでしょうか? ベイエリアのサウンドは毎日聴いていたものだったから、ラッパーとして目立ちたくて似たサウンドを作りたくなかったんだ。父親の出身地がテキサスで、しばらくテキサスで過ごしたこともあったから、色々なスタイルのラップミュージックを聴くことができたんだよね。恵まれていたね。俺は一つのタイプのサウンドだけをやっていたわけではなかったから、特殊な音楽になっていたと思う。そのことに感謝したいのは兄と、様々なサウンドやジャンルの音楽を教えてくれた家族達だね。 実際にサザンミュージックを教えてくれたのは兄だった。メンフィス出身の親戚からスリー 6 マフィアを紹介してもらったんだけど、本当に気に入ったのを覚えているし音楽を作る時に一番影響が残っていると思う。 音楽スタイルに関して言えば、自分の南部から影響を受けた音楽にベイエリアの要素を取り入れるのが好きなんだけど、これは意識的にやっている。当時一緒に音楽を作っていた他のアーティストと比べて、違った音を出して目立つようにしたかったんだ。 ―DJフレッシュのコラボアルバムシリーズ『The Tonite Show』を一緒に制作していると以前SNSで書いていたのを見ました。あのシリーズを制作することはベイエリアのラッパーにとってはどんな意味を持つのでしょうか? DJフレッシュはベイ出身の伝説的なプロデューサーだから、間違いなく大きな意味があるよ。彼はJ・スターリンや他の多くのベイエリアのレジェンドと仕事をしてきたからね。カレンシーとかベイの外にも広がっているからベイエリアだけじゃないな。 『The Tonite Show』はベイエリアでは大きなイベントのようなもので、 『The Tonite Show』が始まるとベイエリアの誰もがチェックするんだ。ベイエリアの沢山のアーティストが参加したいと思っている大きなプロジェクトなんだよ。DJフレッシュとは、目指すサウンドをまだ模索中だけど、まだ取り組んでいるよ。早く完成させて、リリースできるようにしたいと考えているね。 ―セルスキーと仕事したそうですが、彼から学んだことは何かありましたか? セルスキーは良い男だよ、本当に。彼は俺のフッドでは伝説の人間だから、子どもの頃から憧れていたアイドルに会えるようなものだったんだ。 彼は両手を広げて俺を歓迎して、音楽シーンで起こっている様々なくだらないことは気にしないで、自分自身と自分の本当のサウンドを作り上げることだけに集中するように言ってくれた。 何度も言うけど、全てにおいてセルスキーは本当に良い男だ。俺は彼に対して尊敬しかなくて、彼を「叔父」と呼ぶのが好きなんだ。彼が音楽ゲームで必要な事を教えてくれたよ。 ―ベイエリアのベストラッパーを5人選ぶとしたら誰になりますか? アンドレ・ニッカティーナ、RBL・ポッセ、セルスキー、トゥー・ショート、そしてマック・ドレーかな。 ―同時代に出てきたラッパーで、刺激を受けたラッパーや交流のあったラッパーについて教えてください。 キャリアの初期にThizzler(※ベイエリアのヒップホッププラットフォームのThizzler on the Roof)のイベントで、ラリー・ジューンに会ってから本当に仲良くしているよ。本当に良い奴で本当に親しみやすい人間なんだ。俺達はお互いオリジナルだった。心から尊敬する男だよ。特に彼はサンフランシスコ(ハンターズ・ポイント)出身で、常にこの街をレぺゼンして愛を示して、背中に乗せてくれていたね。同郷として見ていて興奮したよ。 あとはスーサイドボーイズも。G*59の一員でゼロからスタートするのを共にできたことは、俺にとって素晴らしい経験だったよ。そして、この音楽業界で彼らが築き上げていく道は本当に見ていてクールだし、アンダーグランドのトップアーティストを兄弟と呼べるのは本当に素晴らしい事だよ。毎日彼らから新しいことを学んでいるし、彼らとの友情に感謝しているよ。 ―あなたは多作なラッパーですが、自分を象徴すると思う作品を3枚選ぶとしたらどれになりますか? 『Son Of Serpentine [S.O.S]』、『The Grey Gorilla』、『Tha Playa$ Manual [TPM]』かな。