アメリカで沸き起こる「国歌論争」 NFLスター選手の起立拒否に賛否
いまでも三番に残る差別的フレーズ 国歌はいつ誕生した?
アメリカ合衆国の国歌『星条旗』がスポーツの試合前や外交イベントなどで演奏される様子は、テレビの中継などでもたびたび目にするが、公の場所では一番のみが演奏されている。 実は『星条旗』の歌詞は四番まで存在し、米英戦争終結直前の1814年9月にメリーランド州出身の弁護士フランシス・スコット・キーによって作られた。『星条旗』が国歌として制定されるまでには1世紀以上の時間を要し、フーバー大統領時代の1931年に正式に国歌として定められた。それまでは正式に制定された国歌は存在しなかったが、ボストン在住の作家サミュエル・フランシス・スミスによって作られた愛国歌『マイ・カントリー、ティズ・オブ・ジー(My Country, 'Tis of Thee)』が、事実上の国歌として広く歌われた。 メロディはイギリス国歌と同じものが使われていた。また、1789年にドイツ系アメリカ人の音楽家フィリップ・ファイルが作曲し、1798年に後にペンシルバニア州選出の会員議員となるジョセフ・ホプキンソンが歌詞を付けた『コロンビア万歳!』も1931年まで事実上の国歌として演奏されており、これが初代アメリカ国歌であったとする見方も存在する。 『星条旗』の一番では英軍による夜間砲撃を受けたメリーランド州のマクヘンリー砦で、アメリカ合衆国の国旗が破壊されずに高々と立つ様子が描かれているが、三番では奴隷についての描写もあり、以前から国歌としてふさわしくないのではないかという指摘も存在していた。三番には「金で寝返った者や奴隷に避難する 場所はない」という歌詞があり、これは米英戦争でイギリス軍側について戦った人々を指す。 米英戦争では奴隷として働かされていた黒人が自由を求めてイギリス側についた例が多数報告されており、敗走するイギリス軍部隊が現在のジョージア州サバンナを艦船で離れた際には、イギリス軍と共に戦った約5000人の黒人奴隷も乗船を許された。黒人奴隷の約半数はカリブ海諸国で土地を与えられたが、残りの半数は新たな場所で奴隷としての生活を強いられた。『星条旗』の作者であるキーは奴隷制度の熱烈な支持者としても知られており、何人もの奴隷を使っていた記録が残っている。そのような歴史的背景もあり、『星条旗』に複雑な思いを抱くアメリカ人は、白人よりも黒人に多いのだ。 警察官による発砲や射殺が相次ぐだけではなく、前述した歴史的背景もあってか、キャパニックの行動に対する評価は黒人と白人で大きく異なる。調査会社ユーガブの発表によると、キャパニックの行動を支持すると答えた人は、黒人の間では72パーセントにまで達したが、白人の間では23パーセントという結果だった。キャパニックの抗議活動はアメリカの人種問題を再びメディアが取り上げる機会となり、同時に国歌に対する思いが人種間で異なる現実を露呈した。
------------------------------ ■仲野博文(なかの・ひろふみ) ジャーナリスト。1975年生まれ。アメリカの大学院でジャーナリズムを学んでいた2001年に同時多発テロを経験し、卒業後そのまま現地で報道の仕事に就く。10年近い海外滞在経験を活かして、欧米を中心とする海外ニュースの取材や解説を行う。ウェブサイト