〈バンスとは一体何者か?〉21世紀のアメリカンドリームの体現者、作家であり法律家の副大統領候補の人物像
トランプの主張を理論化する力
さらに言えば、バンス氏の登場により、トランプ派もしくはトランプ運動というものは、明らかに変質してきている。15年に立候補を表明し、16年に当選して17年から21年までホワイトハウスを支配していたトランプ氏の「第一次政権」には一定のパターンがあった。 それは、トランプ氏本人と側近の緊張関係である。白人至上主義を擁護したり、イスラム教徒入国禁止、軍人への侮辱、プーチンへの譲歩など、思いつきで発言するトランプ氏に対して、長女のイヴァンカ夫妻や補佐官たちは、現実との折り合いに常に苦慮していた。 極端だったのは当時のヘイリー国連大使で、何も言われないと国連と北大西洋条約機構(NATO)を優先するクラシックな米国外交を進め、トランプに注意されると言われたとおりに親ロシア発言に転ずるなど、アクロバット的な対応をしていた。それが不可能になると、巧妙に「円満退職」を演じて見せたのは、いかにも彼女らしい。 デモ隊に銃を向けろとトランプ氏に言われて苦慮したエスパー国防長官も悲惨だったが、もっとも緊張関係となったのがペンス前副大統領である。20年の選挙結果を、副大統領として認証するという「現実」的な行動は、トランプと支持者の憎悪を買い、議会暴動の実行犯たちからは殺意を向けられるに至ったからだ。
つまり、トランプ主義という「幻想」と「現実」の間を誰かが埋めなくてはならず、その乖離の中で多くの人材が不幸な運命に陥ったのだった。コアの支持者たちは、トランプ氏の過激な言動を「エンタメ」のように面白がりながら、お行儀の良い演説をしたり、コロナのワクチン開発に邁進したトランプ氏の姿にはソッポを向いていた。つまり、トランプ主義はどこまで行っても、過激なファンタジーであり、現実とは相容れないものだったのである。 ところが、バンス氏という稀有の頭脳が参画することで、この問題は劇的に転換する可能性が出てきた。バンス氏は「20年に当選したのはバイデンではなくトランプ」という立場を含めてトランプ氏の主張を丸呑みしている。だが、オウム返しに過激な主張をするのではなく、ロジックを隅から隅まで理解し、咀嚼したうえで、再構築してこれを語るのである。 では、バンス氏の解釈でトランプ主義が全て現実世界と折り合っているのかというと、そうではない。過激な部分は依然として過激であり、ファンタジー的な部分は残る。けれども子供たちを含めたこれまでの側近とは違って、トランプ氏のファンタジーをそのまま喋るのではなく、また妙に弁解がましく説明するのでもなく、独特の話術と論理で説得力を付加してしまうのだ。 例えば、英国における労働党政権の発足にあたってバンス氏は「核武装したイスラム国家ができてしまう」などと放言している。無茶苦茶な内容に聞こえるが、人種の多様性など「ウォーク(ポリコレ)」思想に囚われた英国労働党の方向性は、世界を不安定化しかねないという中長期的な警告をポピュリズム的な放言に託して言っているという解釈は可能だ。